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崩れた市場
元曲の感動毀損に対する非難の声…
あまりにも感覚的な音楽とミュージックビデオ
(写真/チョ・ソンモは切ないボーカルとメロディの<イバラ>で人気を継続している)
ダンス音楽一色の歌謡界に、静かなバラード一曲が猛烈な勢いで市場を席捲している.
事件の主人公は、チョ・ソンモだ. チョ・ソンモが歌った<イバラ>は、最近カフェに入ると、必ず一度以上は聞く程に大人気だ.
最初の曲の<イバラ>をはじめ、他の歌手たちの人気曲をリメークしたチョ・ソンモのアルバム<クラシック>は、さる1月24日発売直後、販売量1位に飛び上がって、3週間で80万枚を超える販売高を記録している(メディア
シンナラ集計). この趨勢で行けば、僅か2ヶ月前第2集 アルバム<For
Your Soul>が記録した、200万枚販売記録も難なく破るはずだというのが、レコード業界の大半の意見だ.
デビュー曲の <トゥ ヘブン>で始まり、<不滅の愛>, そして<悲しいヨンフンシク>と続いたチョ・ソンモの人気を勘案すれば、<イバラ>の成功は、その爆発力の持続性に驚くだけであって、新しい現象ではない.
<イバラ>もやはり切ないボーカルとメロディに、華麗なミュージックビデオで武装した‘チョ・ソンモ式バラード’の延長線上に置かれた作品だ.
しかし、愛されたり無関心に終わった前作などとは違い、この作品は熱烈な支持と露骨な非難の間を縦走している.
元曲は、自己正体と実体性に対する哲学的な質問の投げかけだった
(写真/チョ・ソンモと、詩人と村長の<イバラ>アルバム
ジャケット)
賛否両論のまん中には、<イバラ>元曲が置かれている.
元曲<イバラ>は、88年、詩人と村長が発表し、余韻の深い感動を与えた作品だ.
“ぼくの中には ぼくがあまりにも多くて/ 貴方の休む所はないよ/
ぼくの中には虚しい期待で/
貴方の気楽な所はないよ”で始まる歌詞は、辛酸さと立ち上る熱気が交差した80年代を送って、無意識の深い所まで傷を負った若者達の内面を深い視線で凝視している.
巨大メディアとスローガンに慣れていた当時の若者達に、自分の正体と実体性に対する哲学的質問を投げかける<イバラ>は、破壊的な衝撃を与えた.
作者であるハ・ドッキュ自らが、若い日の自由主義的彷徨を過ぎて、宗教的な救援に転換していく地点で、歌の告解聖事でもあったこの曲は、個人的意味を超え、人間の存在論的苦悩を音楽的なテキストに解きほぐして評価を受けた.

曲自体の変化だけを見るなら,
簡潔なピアノメロディに一抹のシンセサイザーが加わっただけの元曲を、チョ・ソンモに至っては42人組オーケストラの雄壮なスケールで編曲されて、導入部と後半部には映画<太陽の帝国>のテーマ音楽が挿入された.
節制されたボーカルには、元曲に忠実にしようというリメーカーの謙遜な意図まで伺える.
しかし、80年代の衝撃を大事に保管している人々には、強い不満を買っている.
大衆音楽評論家 カン・ホン氏は、“チョ・ソンモの<イバラ>は、元曲がリメークしたものよりも飛び抜けているということを見せる逆説”にすぎないとしながら、“大衆音楽史に位置した名曲中のひとつが、当代の歌手によって知らされるというのも良いことだが、チョ・ソンモの<イバラ>は、元曲の価値と意味を抹消しながら、単純に興行だけを念頭に置いて改作した”と批判した.
大学の時期、‘詩人と村長’の<イバラ>を聞いた余韻がまだ残っているという、シン・某氏は、“チョ・ソンモの曲が元曲を大きく傷づけたとは思わないけれど、聞く度に魂に響く熾烈な痛みだったのが、トレンディーな感覚に変質したようで惜しい”と話した.
<イバラ>に対する、極端な拒否感は、歌よりもミュージックビデオに起因する.
いままで発表されたチョ・ソンモの全てのミュージックビデオを専担してきたキム・セフン監督は、<イバラ>でも悲劇的な男女間の愛を短編映画のように撮った.
しかし、自己省察的な事由を刺激する歌詞に純粋な男女とヤクザの三角関係を繋ぎ合わせた映像の設定は、行き過ぎた感がなくはない.
特に、“風が吹けば/ 孤独で また 苦しくて/
悲しい歌を歌った日が多かったのに…”
部分の歌詞が出てきながら、他の男によそ見をしたという理由で,
キモノを着たイ・ヨンエの指をヤクザが切る場面は、鑑賞者たちを唖然とさせる.
このミュージックビデオを見て、“ソンモ兄さん、やはりかっこいい”と通信がくるというN世代の感受性に、‘詩人と村長’世代はもう一度唖然とさせられる.
“それでも貴重な歌を広く伝えた”
(写真/悲劇的な男女間の愛を収めたチョ・ソンモの<イバラ>ミュージックビデオ)
ハ・ドッキュ氏は“話だけを聞いて、まだミュージックビデオをみることができなかった”と話す.
原作者としては見てみたくなかったかどうかはわからない.
ハ・ドッキュ氏は“元曲の内容を過度に歪曲したと考えて、はじめは、問題を提起しようかと悩みもしたが、元曲から提起する人間の利己心と疎通の問題は、男女関係を含んだあらゆる人間関係に適用されることができるとの解析に達した”としながらも、原作者の意図を全く考慮しない改作に対する残念さは隠さなかった.
ハ・ドッキュ氏は“<イバラ>に歓呼するティーンエージャーは、どのようにこの曲を理解していているか”についての疑問も付け加えた.
大衆音楽評論家 ソン・ギウォン氏は、“チョ・ソンモの<イバラ>では、元曲の哲学的な深みが、甘いセンチメンタリ ズムで着色されながら、問題を共有しようという呼び掛けよりは直接的な感受性にアピールし、感覚的なN世代を動かした”と診断しながら、“本質が誤って伝わる可能性はあるけれど、とるにたらない歌詞ばかりが乱舞する歌謡市場で、新世代が自身の内面を見つめる貴重な歌詞に接する機会を得たことは、むしろ望ましい”と、<イバラ>現状の肯定的な側面を解析している.
<イバラ>の爆発的な人気は、チョ・ソンモが歌ったという事実を除いては説明出来ない.
ミュージックビデオというスター
システムの新しい戦略で‘ムリム’を制覇したチョ・ソンモでなかったならば、<イバラ>の成功は可能でなかったことだろう.
昨年末、ライブ舞台で真価を発揮するロッカー、イ・ウンミが似たコンセプトで発表したレコード<ノスタルジア>でも、ハ・ドッキュの<イバラ>が収められているが、大きな反応を得られなかった.
チョ・ソンモの<イバラ>は、人間の内面に向けた凄絶な響きさえ、感覚的なファンシー商品として表現し、大量生産と消費の循環構造につながる点で,
私たちの時代の大衆文化産業の現住所と威力をあらわす象徴だと読み取れる.
キム・ウンヒョン記者
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