2001年1月ハンギョレ21 343号

[特集] あなた方とわたしたちはコードが違う!

[ 特集 ] 2001年01月17日 第343号

‘30代以上’と‘30代以下’, その、強固で高い文化的感性の鉄壁 

99年に封切りした <オースチン・パワー>を観に行った20代のある映画専門記者は、偶然に会った評論家と並んで座って映画を見ることになった. 映画の終始きちんと座っているのが難しい程笑い転げながら映画を観た後、目から雫になった涙を拭って立ち上がると、隣の席の評論家から質問を受けた. “あれがおもしろいのですか?” 30代中盤の評論家は、到底理解することができないという表情で記者をじろじろ見つめた. 映画館から出てきたふたりの顔は、それぞれ <鉄砲玉の男>と<プラトーン>を見たかのように違った. <市民ケーン>では、ヒチコックの偉大さについてならば、一時間でも半日でも共に話すことができる二人が、この映画にゆいては一言の感想も交わしていない理由は何だろうか? この作品の全観客中の90%程度が10代後半から20代中盤であったという事実が、二同種業者間の遠い道を説明してくれる. 

<オースチン・パワー>は、各種性的遊戯と排せつ物に関する冗談で塗り固められたいわゆる‘下半身ユーモア’の決定版映画だ. 皐丸形の宇宙船, バナナからキュウリに, キュウリから木切れにと、限りなくつながる男性性器に関する冗談, 便器に座って自身の分身を‘産む’主人公, 原色でぎっしりと冷たい映画の装飾物らまで、どこにもウディ・アレンのような‘隠喩的’で‘諷刺的’な笑いはない. 評論家たちはたびたび‘90年代米国社会に対する冷笑’というもっともらしい評をだしたが、この映画に対する反応は2種類だ. “めちゃめちゃ笑った”と“浅ましい”. 前者は概して20代以下の観客で、後者は30代以上の観客だ. また、前者は‘猟奇’という単語からヘアージェルに変身した精液を連想する世代である反面, 後者はバラバラ殺人を連想する世代だという差がある. 


“めちゃめちゃ笑った”と“浅ましい” 


世代間文化の衝突は、どの時代, どの場所にでもあった. しかし、笑うべき点が、世代によって異なることは、僅か何年かの間に起きた新しい現象だ. 若者達は、おしっこをビールだと錯覚して飲んだり、パイを自慰器具(?)として利用する間抜けに喜ぶ間、既成世代は彼らをなさけないという眼差しでみつめるだけだ. 長髪とラッパズボン姿の息子と父親が対立しても<笑えば幸せになる> 時間にだけでも幸福に出会う時代は終わったのである. 家族イデオロギーでも、現代社会に対する批判でも、メッセージでもない‘空っぽの遊戯’に、既成世代の感性コードは動かない. 

“クールでしょう.” 昨年、ソウル観客98万名の大部分を18〜23歳が満たした映画 <マトリックス>を、イ・ウヨン(22)氏は四度も見た. 文学評論家 ジュ・インソク氏が“感性の窓はたやすくは開かない…, イ・ソリョンとソン・リョンとイ・ヨンゴルを粗雑に真似する、この空虚な英雄”と批判したこの映画は、インターネットとゲーム, そして、日本アニメーションに慣れ親しんだ世代の感性を克明に見せる. 頭の中に‘ログイン’して、ヘリコプター操縦術と武術を駆使して、銃弾を避ける‘荒唐無稽さ’に若者達は歓呼する. 武功を積むために永く汗を流して錬磨する主人公は退屈なだけでなく、お粗末なのだ. “同じSF映画でも、<ブラジル>や<ブレード ランナー>のようにメッセージをあたえる映画は、なにかを教えようとするのが気に入らない”というのがイ・ウヨン氏の話だ。 非凡な主人公が世界を救うというメッセージがあるけれど、彼らは結論に歓呼することでなく、‘クールな’場面,‘洗練された遊戯’を楽しむのだ. 映画でのように、‘ログイン’は、まさに若い世代が自分の世界へ入っていく出入口で, ‘サイバー世界’は、黒い革を着た主人公のように新しい‘私’が活躍する舞台だ. メシアは、非凡な才能と力の所有者ではなく‘パワーユーザー’だ. 

<マトリックス>や<オースチン パワー>のように、若い世代が熱狂する映画のマーケティングは当然のように‘ログイン’を通じてなされる. 昨年、とりわけたくさん封切りされた猟奇ユーモア映画中で、最も良い成績を残した<怖い映画>は、普通の映画が最も重要視する紙面媒体広告が出る前に、あるサイトで調べた、最も見たい映画1位に上がった. 封切り一ケ月前、インターネット ポータルサイトに掲げた広告が、ユーザーたちの間でいち早く‘入力’されたためだ. ‘私は猟奇が好き’等、若者達が好むコードで塗り固められたコピーも、やはり功を奏した. <オースチン パワー>も、やはり超高速網通信と共に進行したインターネット広告のおかげをずいぶん見た. 


リニージ, 最も高い壁 

写真/だぶだぶした服装と、路上で即興的に行われるダンスパフォーマンス. ラップなどのヒップホップは、10,20代達が熱狂する文化だ.(パク・スンファ 記者)

<マトリックス>の途方もない成功は、ゲーム世代の感受性と共にある. ログインを通じて仮想世界に入っていって、各種戦術を積んでいって敵と戦うという展開が、正確にゲームと噛み合うコンセプトだ. この時、ゲームは‘テトリス’や‘ヘクサ’のような古典的レパートリーとは異なるインターネットサイバー世界で、‘ア’と‘ビア’が登場して行われる戦略ゲームだ. 最近、1千万接続者を突破する程に若者達の間で爆発的な人気を博しているリニージは、ゲームでの世代間の疎通の壁を見せてくれるゲームソフトウェアだ. 一例として、昨年、仮想空間のロールプレーイングゲームのリニージで起きた犯罪によって警察に摘発された件だけでも数十件だった. ゲーマーたちがリニージで使われる仮想武器を、暴力やハッキング, 詐欺などを通じて獲得したという問題だ. こういう事件は、インターネットで新聞情報を検索する世代には、どんなに説明しても理解させるのが難しい. 虚構の空間で戦うために現金取引をするという発想自体が、オフライン世代には納得できないことだ. サイバー世界と現実世界の境界を建てないで、自由に行き来する世代にだけ解読可能な話だ. 

リニージ ゲームのようなゲーム(マルチ ユーザー グラフィック ゲーム)は、ユーザーたちに日常生活とは違って見えない、もう一つの‘社会生活’だ. 自身を成長させることができて、アイテムやお金を集めて家を用意したり、気に入った相手と結婚することができる. その上、ゲーム中の自身を象徴するキャラクターの‘アバタ’は、現実では表現できなかった自分の姿をより自由に表現できる. そのようなために、犯罪や逸脱も可能だ. そうこうしたあと、避けられない窮地に追い込まれれば? ログオフをすれば良い. これ以上魅力的なことはない. 

ゲーム評論家 パク・サンウ氏は、若者達がゲームに熱狂する理由を、“自身がゲームのキャラクターになって新しい世界に没入すること”と話す. ‘死ねば、また新しく始める’と、単純に考えた以前のゲーム者たちとは仮想空間に対する自己自体が違うというしかない. キャラクター(アバタ)を自身と同一視するために、“システムを重要視したオールドゲーマーに比べて、若い世代はグラフィックでも演出を重要に感じる”という. 同じオンラインゲーム世代でも、世代間の趣向の格差は大きい. 20代以上が‘スタークラフト’のような、複雑な戦略シミュレーションゲームを楽しむ反面, ティーンエージャーは‘ディアブロ’や‘創世記伝’のようなロールプレーイング ゲームを好むということが特徴だ. 


遊戯のための遊戯, メッセージはなくなる 


ゲームの美学や世界観は映画のみだけではなく、漫画や小説のようなジャンルにも速く広まっている. 漫画での吹出し中の文が以前に比べて顕著に減った事実は、もうこれ以上台詞の妙味が若者達に大きな魅力を与えることができないことを意味する. 一時、世代を問わずに愛を受けたコ・ウヨン氏やキム・スジョン氏の漫画は、全盛期の力を発揮できない. 現在、スポーツ紙に漫画を久し振りにまた連載しているキム・スジョン氏は、“私は漫画の展開において、結果があれば肯定することだけのことはあった理由を後押しする話の論理性に執着する反面、最近の若者達は感性的な部分を論理的当為性上に置く”としながら、若い世代との間隔を“克服するのが難しい”と吐露した. また、“以前は、自身が好む作家をよく研究したのに、若い読者たちは、今見ている作品の面白さだけを重要視する、こういう面を見た時に世代差を大きく感じる”と話した. 漫画雑誌 <ブッキング>の編集長を経た、ハクサン文化社のパク・ソンシク次長も、“20代序盤以下は、作家の名前をほとんど気にせずに、好きな絵を選んで読むため、李賢世(イ・ヒョンセ)やホ・ヨンマン, 黄美那(ファン・ミナ)等、スター作家の名前は、すでに読者の間ではそれほど意味がない”と、世代間の差を診断した. 言葉が少なく、ストーリーが単純になった代わりに、グラフィック(絵)が漫画選択の重要な要件になったということは、若い漫画読者を年配読者と区別する特徴だ. 最近、若い読者に人気がある漫画は、一様にビジュアル的な側面で、以前の漫画よりはるかにディテールにこだわっている. ストーリー展開はその次だ. 最近、青少年に大人気を呼んだ漫画 <ヒップホップ>の内容は、主人公のダンス対決という単純な構図だったが、ページごとにつながるヒップホップダンスの細部的な描写で、熱狂的な反応を得た. ストーリーよりも、絵とキャラクターが重要で, キャラクターもやはり写実的な描写よりは歪曲された形態の、極端に良識が幼い年齢層に受け入れられたということでは、ゲームの特徴のような脈絡だ. 

メッセージを拒否して、自分指向が強い新世代の文化的コードは、いわゆる純粋小説という古典的文化ジャンルにまで侵入した. 評論家 イ・ミョンウォン氏は、“40代中盤の教授が、ペク・ミンソクの<私が愛したキャンディ>と<綿畑 猟奇伝>に言及しながら、自身は解読自体が不可能だと話したことがある”としながら、“文学でも、世代間に敵対的な壁を持っている”と話した. タイトルでも下位文化に対する躊躇ない世代の特性を見せてくれるペク・ミンソク氏やペ・スア氏の作品には、ルカチ(註:ゲオルグ・ルカチ)が説破した小説の宿命的気配が全く現れない. ナルシシズムと快楽主義は、彼らの小説の特徴で、ルカチ式‘リアリズム’の正反対のむしろファンタジー世界に近い. このような新世代小説の流れの上流には、80年代後半に登場したジャン・ジョンイルの小説が置かれている. しかし、<わたしのように嘘をついてみて>で、快楽指向的態度を見せながらも、父という抑圧的既成文化に対する抵抗という‘啓蒙性’が残っていた反面, ペク・ミンソク氏に達すれば、メッセージは(どちらかといえば意図的に) なくなる. ‘遊戯のための遊戯’という、若い世代文化にめだつ特徴が貫通しているのだ. 


ラップ, どんなに練習をしても… 

写真/60年代作 クォン・ヨンソプの<ボンサンイ>(左側)と、90年代後半作品 イ・エリムの<ショートストーリー>の絵は、漫画の変化を克明に見せる.

スタイルに対する魅了は、大衆音楽でも若年層の著しい特徴だ. だぶだぶズボンに重なっているTシャツ, 野球帽等、ヒップホップファッションはヒップホップ音楽よりも速く韓国の若者達を掌握した. もちろん、主流社会に対する憤怒というヒップホップ音楽のメッセージは、まだ韓国では位置を占めることができなかったが、ルーズなスタイルと言葉を投げかけるラップは、若者達に欠かせない文化的コードになった. 既成世代がラップから感じる異質感は、70年代の既成世代がフォーク音楽に対して感じた異質感よりも、もっと大きくて敵対的だ. それしか方法がない理由の中のひとつは、どんなに練習をしても、既成世代にとってラップは、‘越えることはありえない壁’であるためだ. 

文化の世代間断絶は、これからどんなつながりも探すのが難しいようだ. 昨年末、‘30代以上’と‘30代以下’という奇怪な部門に分れて放映された‘10大歌手歌謡祭’(註:いわば、韓国の「レコード大賞」)は、文化においての世代間断絶という現象が劇的に表れた例だ. 何年か前まで、このプログラムは家族が集まって1年を送る場であった. キム・ゴンモ, シン・スンフンが愛された時も、今年の歌手王が誰になるかは家族皆の関心事であった. しかし、昨年、ジャンルでもなく年齢で分けて, 合わせられない二つの世界を集めた放送社の‘配慮’は、皆を退屈にするだけだった. 

若者達は‘退屈だ’と、既成世代の文化を排斥し、既成世代は‘空虚だ’と、若い感性の文化を揶揄する. 最近、若い世代は70〜80年代の若い世代のように反抗したり反論を繰り広げることもしない. “何故?”という質問に、彼らは“そのまま”と‘クール’に答える. 

しかし、大衆文化談論の歴史は、正してみれば空虚なように見える遊戯から、美学的, 社会的地平を発見していく過程だった. 既に既成世代になった専門家たちは、若者達の文化が‘感覚’で‘包装’されているだけだと批判するが、これもまた今現在の結論であるだけだ. メッタ切りだけが乱舞した70年代B級恐怖映画が、事後に‘米国中産層イデオロギーに対する否定’に格上げされたように、最近の若者達の‘目的のない遊戯’で、専門家たちはいつか新しい地平を発見するかもしれない. 

ク・ボンジュン 記者 bonbon@hani.co.kr
キム・ウンヒョン 記者 dmsgud@hani.co.kr