2001年3月ハンギョレ21 348号

[表紙の話] 7・15子供解放をご存知でしょうか

[ カバーストーリー ] 2001年02月27日 第348号


高麗 科挙制度から、70年代児童テンプル模擬試験まで、試験制度の歴史 

写真/55年、ソウル大学校で行われた高等考試 試験光景. 鉢巻きで決意を新たにした姿がおもしろい.

立身出世できる唯一の登竜門だった科挙制度は、教育を身分上昇の道具として認識してきた韓国試験文化の根になった. 記録に残っている、初めての国家試験は、新羅 元聖王 788年 読書三品科. この制度は、人材登用試験と同時に、国学(神文王 2年 682年に建てた国立教育機関)の卒業試験制度であった. 読書三品科では、儒教経典の修学能力を質し、その順序によって人材を登用した. だが、読書三品科も、新羅後期に達すると衰退することになる. 唐に留学する学生達と、唐の科挙に合格した後、帰国する人等、海外派が大きく膨らんだためだ. 読書三品科は、高麗時代に本格施行された科挙制度の礎石になる. 

国史編纂委員会 イ・ソンム委員長は、“新羅の読書三品科は、国学という機関で行った学校試験の性格が強い”としながら、“国王が直接主管する国家試験は、高麗時代 光宗9年に導入された科挙制度が初めて”と話した. 

科挙試験は、朝鮮時代まで持続する. 定期試験は、3年に一回ずつ行われ, 文科で33人, 武科で28人を選んだ. 朝鮮時代には高麗時代になかった武科が含まれて、文, 武, 雑科の3科体制を整えるようになる. 

朝鮮時代 書堂(註:ソダン.学校)で試験を受ける時、外套の中に‘挟書’と呼ばれたカンニングペーパーを隠し持って試験場に入った場合も少なくなかったという. 代理試験の‘次試’も存在し、‘抄集’という、いわゆる族譜も改竄した. 科挙制度は、1894年 甲午改革時に消えて、近代式試験の高等文官試験に変わることになる. 

1960年代末までは、中学校も入学試験を行っていた. 小学生たちが中学入試から解放されたのは、70年代初め‘7・15 子供解放’を通じて、中学無試験入学が導入されてからだ. 
無試験入学の草創期には、糸車状の抽選器のハンドルを回すと、銀杏くらいの大きさの抽選玉が出てきて、その玉に書かれた番号によって中学校が配分された. 
高等学校も無試験で進学する高校平準化は、74年、大都市から開始した. 中・高校を皆無試験で入っていった世代は、‘ペンペンギ世代’と呼ばれ、一部名門高では、別に同窓会を作る事もあった. 大学入試予備考査が行われた70年代、学校で行われた児童テンプル模擬試験は、自身の全国順位を知ることができる試験問題として有名だった.