2001年6月ハンギョレ21 363号

ついにくる, 風の息子

[ スポーツ ] 2001年06月13日 第363号

日本残留霧散になった イ・ジョンボム, 米国行も放棄… 年俸交渉相手は ヘッテか? 起亜か? 

写真/ 昨年息子を抱いて一時帰国したイ・ジョンボム. 彼は父母の引止めで、メジャーリーグの夢をたたんだ.

“両親と電話で話したら、米国行きを反対されました. 米国行きは自尊心に関わる問題で、ほんとうに行きたかったのですが…. 韓国で走りたい気持ちはいつもありました. 故国へ帰るのならば、奉仕の心から最善を尽くします.” 

ついに、イ・ジョンボム(31)が国内に復帰する. 
イ・ジョンボムは、さる6月7日に日本プロ野球で1週間のワイバー公示が満了したことで、国内復帰として最終去就を決定するようだ. ‘決定するよう’という言葉は、イ・ジョンボムのあいまいだった態度を念頭に置いた表現だ. 彼は自身の去就に関して、この一ヶ月間、どっちつかずの動向を見せた. そして、この複雑な心境には、色々な理由が含まれている. 


父母と球団の説得に心が動いて 

イ・ジョンボムは、最近の数ケ月間、野球人生の最大危機を前にして深刻に悩んでいたに違いない. そして、このような葛藤は、何回も発言を変えることから、ファンたちに‘ミステリー’として迫った. イ・ジョンボムが願ったこととは、いったいなんだろうか. 

イ・ジョンボムは、2軍行きの指示をめぐって、中日と星野監督に強い不満を炸裂させて、トレードを要求した. 
当時は、‘中日でなくとも、他の球団で十分に全盛期の役割をやり遂げることができる’という自信が、このような背水の陣戦略につながったのはもちろんだ. しかし、既にソン・ドンヨルの引退状況からも十分に見て取れるように、日本, そして、日本プロ野球は容易に内心をあらわさない. すなわち、中日フロントがイ・ジョンボムの退出を決定していたとしても、即刻的措置はできなかった. 

中日は星野とイ・ジョンボムの葛藤が進行する間、日本言論に対して、事実上イ・ジョンボムの退出が秒読みだということを数回暗示した. しかし、これがイ・ジョンボムの放出 要求として明るみに出ると、直ちに伊藤代表は“イ・ジョンボムの退出はないし、まだ中日は彼を必要としている”という立場を繰り返した. 
韓-日 プロ野球関係を考慮した、極めて外交的な発言だった. また、当初、イ・ジョンボム招聘のために総力戦を傾けたフロントとしては、このようにしてこそ‘体面’となる. 結局、最終結論は‘放出を強力に願う’イ・ジョンボムの要求を、中日が聞き入れてくれた形になった. 

すると、突然の米国行き宣言とその放棄はなにか. 
米国行き宣言以後、イ・ジョンボムは既に、去る4月からメジャーリーグ進出を模索してきたことが確認された. 韓国に外国人選手を供給するエージェント社等、いくつかの業者がイ・ジョンボムを説得してきたことが知らされ, 本人も深刻に悩んできた. 米国に引越しする動きまでわかった程に具体的な動きを見せることもしたということだ. 
イ・ジョンボムは、もしかすると、国内復帰を控えて、年俸を引き上げようという‘はったり’をしているのではないかという一部の疑惑に強烈に反発して、“決してお金のためにそのようなことをしていません. 今年はメジャーリーグ行きは難しいが、来年でもかまわない. それでも難しかったら、コーチ研修でもしなければならないのではないでしょうか”と、日本特派員を通じて立場を明らかにしたことがある. 

しかし、既に明らかにした通り、周辺の説得が結局イ・ジョンボムの心を変えたものと見られる. 
家族の反対が最も大きい. 父 イ・ゲジュン氏と母 キム・クィナム氏が “孫二人と嫁を連れて、また外国に出ていくなんて. 米国行きは無謀ですよ”と、国内復帰を強く願っていた. 
また ジョン・キジュ ヘッテ社長の訪日面談とキム・ソンハン ヘッテ監督, ソン・ドンヨル韓国野球委員会 広報委員の積極的な説得があった. キム・ソンハン ヘッテ監督は、“エージェント社からイ・ジョンボムの日本の電話番号を聞いてすぐに、このような試み(米国行き宣言)がなされたような気がします. (電話通話で)できなければ、コーチ研修でもして、‘頼むから、あきらめなさい’と勧めた”と明らかにした. 

イ・ジョンボムをよく知る野球人A氏は、多少異なる見解だ. “先に日本に行ったソン・ドンヨルと、イ・ジョンボムは性格が多少違う. ソン委員は周囲の意見をよく聞くが、結局最終決定は自身が下す. イ・ジョンボムが早く決定を下したが、実は本人が日本で決めていたことではないようだ”と評価した. 多少優柔不断なイ・ジョンボムの性格と共に、3年間傷ついてきた自尊心をなんとか回復しようと焦って、米国行き宣言とその放棄ということになったということだ. 


帰ってくれば、外野手を引き受ける可能性高い 

写真/ イ・ジョンボムの不振は、日本進出初年度に受けた負傷のためだ. 無理な出場は致命的な計算違いだった.

整理すると、結局、イ・ジョンボムが最も願っていたのは、日本の他のチームでの残留だった. 
しかし、対象だった阪神と近鉄が次々他の外国人選手の招聘を決定した. 
泣きっ面にハチで、日本野球規約上、ワイバーを経て自由契約の身分になった選手は、シーズン中の選手登録が不可能だという点をイ・ジョンボムは看過していた. イ・ジョンボムは自身の年俸(8千万ウォン)削減を甘受しても、自由契約選手になれば、今シーズンは他のチームで走ることができると見ていたのである. 

韓国野球ファンたちは、今シーズン後半期にイ・ジョンボムを果して見ることができるだろうか. そして、イ・ジョンボムは、全盛期の豪快な全国区スターの姿を見せることができるだろうか. 
イ・ジョンボムは、1998年、日本に進出した当時、ヘッテの任意脱退選手として公示され、韓国プロ野球に帰ってくる時は無条件でヘッテに復帰しなければならない. しかし、現代・起亜自動車がヘッテタイガーズ引き受けを宣言した状態だと、交渉相手はヘッテになるのか起亜になるのかが不透明だ. イ・ジョンボムが復帰時期に関して余韻を残したのも、このような点を考慮したのである. 

当初、年俸も高いイ・ジョンボムの招聘に多少難色を示していたヘッテ ジョン・キジュ社長が突然イ・ジョンボムとの談判のために日本に渡っていったのも、以後の売却交渉で主導権を握るという意図だという見解がある. また、オールスター戦前後に部創立を宣言する起亜は、イ・ジョンボムの招聘とヘッテ売却が結びつくことにだいぶ不快感を示している. イ・ジョンボムは、復帰と共に年俸と付帯条件等に関する交渉を繰り広げなければならない. 復帰はヘッテにした後, 今後の入団条件に関しては、ヘッテより企業規模が大きい起亜がよりよい条件を提示するものと見られる. 

イ・ジョンボムは日本進出初年度の98年6月23日の阪神戦(名古屋ドーム)で投手川尻からデッドボールを受けて、右ヒジ骨折を負い、その時の後遺症は結局退出の原因につながった. リハビリトレーニングが不足した状態で3ケ月ぶりに出場を強行したことが計算錯誤であり, この過程で右腕下膊部が若干曲がってしまったという. 速い球に対する攻略が鈍くなったという評価だ. 手術の代わりにギブスをしていたなら、体験せずに済んだ問題であった. 

彼が韓国に戻っても復帰時期はゆっくり考えてみると明らかにしたのは、こういうことを念頭に置いたことでないだろうか. すなわち、星野監督と個人的な葛藤がふくらんだことや、既に彼が全盛期を過ぎたのではないだろうかという心配のために慎重になったのではないだろうか. また、試合を多く走ることができず、実戦感覚が落ちたことも事実だ. 
ヘッテはイ・ジョンボムが帰ってくる場合、外野手(センター)で使うことまで考慮している. ヘッテは現在使い道の無い内野手たちのポジションが重なって悩んでいる. イ・ジョンボムとしては、これまた自尊心が傷つけられることながら、チームのためには止むを得ない事だった. 


どうなろうが, わたしたちは待つ 

イ・ジョンボムが日本で得たものがあるならば、息子と娘(ジョンフ, カヒョン), また、2軍選手としてベンチを守る佗びしさだという. 光州 書林小学校以後、ずっとスターの道だけを歩んできた彼が、自身の野球人生で初めて注目されることがない生活を暮らしてみたのである. この経験は、彼自身が話したように、貴重な資産になることができる. 
何より、彼が負傷の後遺症または適応 失敗で復帰初年度にぱっとしない成績をおさめても、以前よりはるかに成熟したマナーを見せることは間違いない事実だ. 色々な事情にもかかわらず、韓国野球ファンたちは全国区スター イ・ジョンボムの復帰を期待している. 


キム・ソンウォン/ スポーツトゥデイ 野球部 記者 rough@sportstoday.co.kr