2002年2月ハンギョレ21 397号

変わった休憩所, 望郷休憩所が良い
[ ヒューマンポエム ] 2002年02月19日 第397号

変わった休憩所, 望郷休憩所が良い
望郷休憩所 労働組合 イ・ギョンスン委員長


人々は高速道路休憩所に関して、誤った先入観を持っているのが普通だ.
高速道路休憩所職員の賃金が、大都市のデパートに勤める職員達より安く、したがって職員の水準もより低いなどとだ思われがちだが, そのようなお決まりの断定は大部分正しくない.
私もやはり、そのような先入観を持っていたが, 私のその誤った考えを、何年もの歳月をたどって解きほぐしてくれた所が、まさに京釜高速道路下り線の‘望郷休憩所’だ.
高速道路休憩所に対する先入観を変えて

写真/ "定年退職時まで仕事をしたい仕事場にしたい." 高速道路休憩所のイメージを'がらりと' 変えるというイ・ギョンスン委員長.
(イ・ジョンヨン記者)


関心をもってながめると、高速道路休憩所とはそんなに甘い所ではなかった.

休憩所ごとに大きな偏差があって, 始終一貫ガムをくちゃくちゃ噛みながら仕事をしたり, お客さんに小言をちょっと言われると食器を投げて皿洗いをする職員がある休憩所がまだ時々あるというが, 望郷休憩所ではそのようなことを想像することさえ出来ない.
その理由は、望郷休憩所の職員たちが皆会社の言うことをはいはいとよく聞くおとなしい人々であるためではない.
それは、ひとりの何年間もの献身的な努力に助けられたことだというのが大きい.
本人はもちろん、絶対に違うと言うだろうが….

7年前頃だっただろうか, 車を運転して休憩所広場に入ると、雰囲気が異常だった.
建物のあちらこちらに縦看板が掲げられていて、働く人々の表情も皆硬くなっていた.
“やはりそうか.組合員たちが座り込み中の労組事務室に、公権力が投入されたという記事を、何日か前に新聞で読んだことがあった….”
うどんを茹でてくれるお嬢さんも, 厨房のおばさんも, 駐車場を清掃するおじさんも、皆‘団結’,‘闘争’というスローガンが入った赤いベストを着ていた.
胡桃菓子を焼く、鉢巻きをしていたおばさんに“必ず勝てるよ”と話すと, おばさんはぱっと笑顔になり、“ありがとうございます”と答えた.

労働組合事務室を訪ねた.
“そのまま 行き過ぎることができなくて… 激励のため 立ち寄りました.”
若い女性2人が座っていたが、明るい顔で立ち上がると席を薦めてくれた.
手でも握りたかったが、思ってもいなかった若い女性たちなので、手を差し出すこともできないまま, 中腰のまま二三言交わしてせわしく労働組合事務室を出てきた.
“必らず勝てますよ.難しくても….”
 
望郷休憩所との縁は、そのように始まった.

その日以後, 時々そこを通る度に労働組合事務室に立ち寄ったりした.
事務室の壁の黒板に“休憩所内の組合員勤務先巡回中です.委員長 ベク”と書かれている日には、休憩所をあちらこちら探し回ってでも委員長に会った.

望郷休憩所 労働組合委員長 イ・ギョンスン(31)さんは、インタビュー要請を何か月も拒んでいたが、途中で仕方なく応じながら“労働組合の話は抜いてください”という.
自身が労働組合活動を正しくできていないという自責のためだろう.
しかし、全国の労働組合を尋ね歩くことを職業とした者として、敢えて話したところ、イ・ギョンスンさんぐらいの人はそうはいない.何年間も見守りながら私が下した結論だ.

イ・ギョンスンさんは、中学校を卒業して家族から独立した.
近所に“うわさがたちました” 金持ちの家だったが、あまりに早熟だった少女の負けず嫌いは、学費と生活費を自ら解決するという決心をくびきのように作って自身にかぶせ, 実際にそのようにした.
高等学校に通う間、誰の助けも受けないまま一人で生きながら、学費と生活費を稼いだ.
最小限の暮しなので、生活費よりは学費がはるかにより大きな負担だった.

“一日24時間終始余裕がないのです.当然、からだも痩せていきました.167cmの身長に、体重は45kgしかなかったのですから.”

普通人は‘夢が多い学窓期’を続けたその頃を回想するものだが、イ・ギョンスンさんは“何故、人の心を複雑で息苦しくさせるのです?”としながら、目を伏せた(誰にもしなかった幼い時の話を長くした後, イ・ギョンスンさんは実際に何日もひどく病んだ.イ・ギョンスンさんにはあまりに申し訳ない).

衣食住を解決する仕事場を生甲斐があるように
写真/ "顧客に最高のサービスを…."イ・ギョンスン委員長が組合員たちと話を交わしている.(イ・ジョンヨン記者)

いわゆる‘ミーティング(註:韓国式「合コン」)’は一度もする余裕がない生活だったが, 一ケ月に一度は孤児院を訪ねることは欠かさなかった.
ものすごい皮膚病で苦労した3歳の赤ん坊をとりわけ世話したかった.
孤児院に行って、その赤ん坊のために清掃して, 洗濯して, ご飯を作ってあげて, 皿洗いして, 入浴させてあげて, 共に遊んであげることが‘日課学習’から解放される唯一の時間だった.

終わって帰ってくるとき、からだは棒のように疲れていたが, はじめて、なにか人間らしく生きているという喜びが胸にぎっしり押し寄せた.
“人を助けることが、自身を最もよく 助けるものだ”という原則は、そのようにして悟った.

高等学校3学年の夏休みになる前に、正式発令を受けて就職した.
誰でも最優先順位として行きたかった大企業だった.
2年ほど勤めた時, 職場の上司が自身のミスを歳の若い女子職員だったイ・ギョンスンに押し付けた.
それをこれ以上座視することができず、職員たちが見ている前で“反乱して”辞意半分要求半分で会社を出た.

“休憩所に就職したのは、純然に着させてくれて, 食べさせてくれて, 住まわせてくれる所だからです.はじめは、2,3年間だけ目をつぶって働くつもりでした.”

イ・ギョンスンさんが休憩所の食堂で布巾を持って食卓を拭く姿を見た高等学校の恩師は、手を取って何も言えないまま、涙を流して行った.
後ほど‘カウンター’担当となり、‘主任’になったのだが, 会社が不渡を出すと、運営権が少しの間施設管理公団に移ったが、民営化になる過程を経た.
その渦中に人々と共に労働組合を設立して副委員長に就いた.
それ以後、ストライキ・拘束に引き継がれた血涙のことを、私はとても文章で説明する自信がない.
一つだけ話そう.
労組の前任委員長が職員の権利を保護するどころか、むしろ害を及ぼす存在だとわかった時, イ・ギョンスンさんは組合員たちと会議をした後, 前任委員長を呼んで談判した.
“貴方にはこれ以上委員長の資格がありません.
家に帰ってください”と、(実際にはここには書けない、より激しい表現だった), 委員長はその日の内に荷物を畳んだ.

“休憩所でこれから何年くらい働くつもりですか?”と尋ねた時, イ・ギョンスンさんは、“定年退職する時までですよ”と答えた後、しっかりと付け加えた.
“そのような所にしていくのです.”

2年前, 望郷休憩所が、全国100余休憩所の中から、賃金・福祉部門まで、総網羅した経営評価で唯一大賞を受けた時, イ・ギョンスンさんは誰知らず一人泣いた.

“ちょっとは‘御用(組合)’だといっても良いですよ.初めて来た時は、本当にどうしてこんな所があり得るのかと思いました.会社を6年で私達がこうさせたのですよ.今は、職員が会社を離れたがりません.”
それとともに、このように付け加えた.
“わたしが泣く時の姿を見たら、可愛いですよ.目が大きくなるんです.ふふふ・・・.”

イ・ギョンスンさんが‘御用’ではないということは, 望郷休憩所に高速バスがほとんど立ち寄らないことだけを見ても容易にわかる.
労働組合の要求によって, 会社が高速バス運転手たちに積極的な誘致作戦をしかけないという合意をしたためだ.
労働組合がそのように要求した理由は、敢えて説明しない.
この文を読む人たちの想像力に任せる.

休憩所に立ち寄る客たちにしたい話はないかと聞いてみた.

イ・ギョンスンさんは意外にも長く答えた.
“デパートに行けば、人々は入口からその華麗な雰囲気に臆して、おとなしくなるものです.
私達がデパートのように人々を臆させないという理由で私たちを見くびらないでください.着飾る人ほど‘礼儀を知らない’ということを知っていますか? 他の人を見下した瞬間、自身の位置も低くなります.人々はそれを知らないんです.私たち休憩所職員は、全国最高水準なんです.子供たちの方が, 人を見る目はあるものですね….”

年齢を重ねてしまったイ・ギョンスンさんに、周辺の人々は“もう、頼むから結婚してください”とせき立てるが, イ・ギョンスンさんは、自身の仕事場を, 若い人々が入ってきて定年退職する時まで仕事をしたい所にする, その仕事と結婚したように見えた.
その姿は、どの新婦より幸福に見えた.

“バンバン轟く花火のように華麗でなくても, 消えない小さな火種として終わりまであることでしょう.そうなれば幸せです.”
その火種は永遠に消えないだろう.

ハヌル労働問題研究所