2003年9月ハンギョレ21 476号

‘血の同盟’に生きる‘傭兵’は行った
[ カバーストーリー ] 2003年09月18日 第476号

‘血の同盟’に生きる‘傭兵’は行った
ベトナム戦から湾岸戦争, イラク戦 等と、継続してきた国軍の海外派兵小史


“朴正煕 この野郎, 息子を生き返らせろ.” “金がなくて、コネもなくて死んだ.”
韓国軍がベトナム戦に派兵された時のソウル 銅雀洞 国立墓地. 葬服姿の女たちが悔しさで地を打った.
何人かは写真と遺骨箱を抱きかかえて泣き叫びながら救急車に乗せられていった.
毎月30柱から50柱まで、亡くなった将兵の遺骨がベトナムから奉送されると、一ケ月に一回、このような葬式が開かれた.

写真/ベトナム戦に派兵された韓国軍は途方もない犠牲を払った.
軍人たちがベトナムで陣地を構築している.(連合)

朴正煕 政権はベトナム派兵の名分として、△民族は共産主義に対抗して戦う共同反共戦線に参加する △朝鮮戦争時の米国などの自由世界への借りを返す などを前面に押し出した.
だが、このような公式説明は、当時の国民と将兵たちにとっては、特に説得力がなかった.


派兵の苛酷な代価は誰も知らないまま

創軍以後、国軍の初海外派兵はベトナム派兵だった.
ベトナム派兵は、1964年7月、医務要員とテックォンド教官派遣, 65年3月、工兵隊である鳩部隊派遣, 65年10月、戦闘部隊である海兵青龍部隊と陸軍 猛虎部隊派遣, 66年9月、白馬部隊派遣などに引き継がれた.
8年8ケ月の間、計31万2853名の国軍がベトナムの地を踏んだ.
国軍被害は、戦死者4960人, 負傷者1万962人, 枯葉剤被害者6万6千名などだ.
このような途方もない犠牲は、以後、海外派兵に非常に否定的な国民感情を生んだ.
だが、派兵当時、国内言論や知識人の間には、ベトナム戦に対する批判的認識はまれだった.
派兵に反対していた野党党首 パク・スンチャン氏は、66年にベトナム訪問後、“結果的に派兵は良いと考える. そして、より多くの私たちの将兵をベトナムに送りたい”と話した.
パク氏は飛行機上から豊饒の大地を見下ろした後、恍惚としながらベトナムの地にキスをして、“私たちの民族が初めて他の国に軍隊を送って、民族の威力を発揮したこの感激, この肥沃で広大な土地が私たちのものならばどれくらい良いだろうか…”という一文を<東亜日報>に寄稿することもした.
70年代、大統領府 経済第2首席秘書官を経たオ・ウォルチョル氏も、最近、自身のホームページで“ベトナム派兵は、延べ人数30万名を超える若者達の海外研修であり、韓国人の国際化出発点”と評価した.

韓国はベトナムに31万名を超える兵力を送り、血を流したが、米国は‘血の同盟’韓国を無視した.
派兵期間中、米国は米-中国交正常化に関する事前通報をしなかったし、米7師団を韓国の同意無しに撤収した. 当初、エグニュー米国副大統領は、米7師団の撤収時期は71年6月末だと言ったが、米軍は計画より3ケ月操り上げて、71年3月27日に韓国を離れた.
後に知ったことだが、ニクソン米国大統領は、中国との国交正常化に気を遣って、7師団撤収時期を操り上げたのだった.


積極的軍事外交で認められようとするなら…

2番目の海外派兵は、91年1月、多国籍軍の一員として参加した湾岸戦争派兵であり, 90年代に入って国連会員国の資格で国際平和維持活動(PKO・Peace Keeping Operation)を活発にしている.
91年9月、韓国・北朝鮮同時国連加入以後, 韓国は伸張した国力に似合うように国際社会に貢献するという次元で、ソマリア, アンゴラ, 西部サハラ地域に国軍医療支援団と工兵部隊などの支援部隊を送った.
韓国は、99年10月、国連の要請によって国際平和維持軍(PKF・Peace Keeping Forces)として、初めて東ティモール地域に戦闘兵力を派兵した.
軍当局は、PKO参加が、国連の支援を受けて戦争をした私達が、有事の際に国際社会の支援を確保することができる最も積極的な軍事外交だと説明する.
また、紛争現場で得る体験は、平時の部隊訓練で得る感覚よりも戦場適応力を向上させ, 紛争終了後の復旧現場に私たちの企業が進出させる効果があると主張する.


クォン・ヒョンチョル記者 nura@hani.co.kr