2004年7月ハンギョレ21 519号

シンデレラは今日も進化中!
2004年07月21日 第519号 [文化フォーカス]

シンデレラは今日も進化中!
<パリの恋人>など、シンデレラドラマ人気の秘訣… 多面化した21世紀型キャラクターで60分ファンタジーを巧みに構築


□ ベク・ウンハ/ 自由寄稿家 lucielife@naver.com

何も目新しいことではない.
可哀相なシンデレラが継母と小姑たちの妨害にもかかわらず、素晴しい王子様の寵愛を受けて、幸福にいつまでも暮らしたという話は, 洋の東西を問わずに時代を越えて絶えず反復されてきたおなじみのドリームではなかっただろうか.
この地にテレビが普及してドラマが生まれて以来、<コンチュイパッチュイ>や<シンデレラ> <キャンディ キャンディ>のような'古典’は、ドラマ製作者の間では‘バイブル’として称賛され, 千年をかけて食べてもまだ旨みが残っている‘半永久的な牛テール’ほどに愛用されてきたのが事実だ.
だから、2004年のテレビが同時にあちらこちらでシンデレラストーリーを吐き出すからといって, 特別に興奮する必要もなく、非難する必要もない.

△ 2004年版シンデレラストーリーの先頭に立ったドラマ<パリの恋人>のハン・キジュ(パク・シニャン)とカン・テヨン(キム・ジョンウン).ハン・キジュは王子の典型性を破るめったにいない成人男子キャラクターとして視聴者の熱い関心を受けている.(写真/SBS)


2004年版シンデレラたち.

文化放送<皇太子の初恋>, SBS<パリの恋人> そして、最近始まった韓国放送<フルハウス>まで、夏を狙った各放送社の‘サマーパッケージ’は外観上では大差ないように見える.
チャ・テヒョン、ソン・ユリ、キム・ナムジンという甘いスターを前面に押し出したり, パク・シニャン、キム・ジョンウンという安定したカップルで勝負を競ったり, ピ、ソン・テギョという組み合わせだけでも期待されるキャスティングのこのドラマは、内容上も似たりよったりだ.
リゾート社長の息子とリゾートコンパニオン(G・O), 自動車会社会長の息子と貧しい語学研修生, アジア大型スターと無名の作家の恋愛話で、特にどうということのない女子が王子様と愛に陥るのを大きな軸としている.
また、季節商品らしく、北海道からバリに、パリから中国に引き継がれて、主人公たちが韓国の地に留まる暇を与えない.
それで、願うべくも無い‘バンコク’行を受け入れるべき貧しい視聴者や, 複雑な日常に疲れた人々にとっては茶の間で気楽に楽しむこの‘60分間のファンタジー’は、忘れることもせずにまた訪れてくれる喜ばしい季節の果物である.


成人になった王子… “エギヤ”ハン・キジュ熱風

だが、もうすこし深く入って注意深くみると, 最近同時にお目見えしているこのドラマたちの間にも一抹の差はある.
<皇太子の初恋>が過去のシンデレラドラマが見せた多くの部分を踏襲している反面, <バリでのできごと>からつながる<パリの恋人>は、既存要素をひっくり返しながら面白みを増す. 王子の性格とシンデレラの性格が変わり, ハッピーエンドの当然の手順も踏まない. “社会的違和感造成”や“非現実的物語”というお決まりの批判は、生命力のない言いがかりになってしまった.
“文句を言いつつ、やむを得ず見る”であった消極的な視聴者とは違い、新しいシンデレラドラマに対しては積極的な擁護論と共に‘マニア’たちが生まれてもいる.
2004年, ‘シンデレラドラマ’は、いつのまにか進化の時代を迎えたものなのか. でなければ、巧みな品種改良に成功したものなのか.

全国が‘ハン・キジュ熱風’と言っても、それほどおおげさではないだろう. <パリの恋人>で、パク・シニャンが演じるハン・キジュは、現在最も熱い関心を集めているキャラクターだ.
抜け目なく早い演芸新聞は‘ハン・キジュ語録’を整理して記事化するかと思えば, パク・シニャンをモデルとして前面に押し出した広告は、この効果を利用しようという動きでいそがしい.
“エギヤ(註:よい子よ、かわいい子よ)”という声を聞いて数億万年が流れた女性たちにとって、この甘い呼称は精一杯幼児期に退行させ, 毎回反復学習しても喉が渇いた台詞としての位置を占めた.
40%を超える視聴率は、どの部分もおおざっぱな演技を繰り広げるキム・ジョンウンにもよるが, ハン・キジュという魅力的なキャラクターが引き込んだというのが大部分だろう.

いまや、財閥は財閥になり‘どんな財閥か’であるか, シンデレラはシンデレラになり‘どんなシンデレラか?’が重要な時代が到来した.
眼下無人に自尊心が強く, 独占欲で燃えているが、しかし、よく知れば孤独な過去がある財閥の息子. 剥製になった王子たちは既に退場する時だ.
もちろん、新しい王子もやはり落下傘式に父の事業を譲り受けて,“職員ひとり解雇するくらいはなんでもない”権力の中心にいる.
だが、父母に対する反抗心だけで真っ赤に燃え上がる‘問題児’ではなく, 失敗も多くしてきたがその歳月と共に‘成人’はできた王子だ.
彼は恋愛も熱心に、だが仕事も熱心にする.
ジャズバーで汗を流してサキソホンを吹いて、‘愛をあなたの懐に’と叫んだしつこい王子ではなく、好きな女子に, 脛が太くて, 顔が不細工で, “鼻の穴もこんな感じだよ”と遊ばせる茶めっけ満杯でクールな男子だ.
“わたしはソルロンタン(註:白い牛スープ)が好き”のような言葉を吐きだして精一杯腰を低く臨む見え透いたジェスチャーの代わりに、“職員食堂で食事する質素な財閥2世? それはあまりにも虚飾的ではないか?”と、率直に席を蹴る.
ハン・キジュの人気は、彼が良い服を着こなして、話も巧い素敵な財閥の跡継ぎであることもあるが, めったにいない成人男子キャラクターということにある. バックパックにスニーカーを履いて、素敵なスーツを着た<バリでのできごと>の財閥2世, しかし、相変らず子供のようなジョン・ジェミン(ジョ・インソン)は、過渡期に置かれたキャラクターだったわけだ.

△ <パリの恋人> <皇太子の初恋>に続き、最近放映を始めた<フルハウス>.
ピとソン・テギョというスターを前面に押し出した新しいシンデレラストーリーがどんな方法で視聴者を新たにするのか、まだ未知数だ.(写真/韓国放送)


孤独だけれど悲しいけれど泣かないキャンディのような性格に、“砂漠の真ん中に放って置いておかれても生きて帰ってくる”女子たち.
過去のシンデレラたちが持てるものなど何もないけれど自尊心一つで固く団結したとするなら, 21世紀のシンデレラたちは“自尊心は傷つくけど、このお金は有難く受けとる”と、札束をしっかり確保する.
だが、“世の中にはタダのものはない”(<フルハウス>)ことを知っているため、王子たちに代価無しでは抱かれない. 心にない契約同居をしても、“お金や権力ではなく、愛のために貴方を選んだ”というような見え透いた嘘をつかない.
<バリでのできごと>のイ・スジョン(ハ・ジウォン)に比較すれば、<パリの恋人>のテヨン(キム・ジョンウン)は、そのような面で退行したキャラクターだ.
むしろ、<皇太子の初恋>はユビン(ソン・ユリ)を困窮した家の娘として設定しなかったから, 富に対する切迫さがない.
夢がリゾートのG・Oになることではあるが、彼女は決して夢を実現する方便としてで皇太子 ゴンヒ(チャ・テヒョン)に卑屈にふるまわない.

もちろん、キャンディやシンデレラを困らせる継母や‘イライザ’は、新しいシンデレラドラマにもちゃんと登場する. <皇太子の初恋>のヘミ(チン・ジェヨン)や<パリの恋人>のハン・キジュのフィアンセであるユニは典型的な悪女だ.
だが、<パリの恋人>は離婚した前夫人ペク・スンギョン(キム・ソヒョン)を配置し、話に緊張を附与すると同時に、普通のドラマで悪女が単独で担わなければならない負担感を設定しておく.
<フルハウス>のヘウォン(ハン・ウンジョン)も、やはり配置からみれば主人公たちの愛を妨害しなければならない悪女だが, 彼女の役割は妨害屋に留まるよりは自身だけのドラマを持った正常に独立的なキャラクターとして存在する.

△ <皇太子の初恋>は、相対的にシンデレラドラマの典型性をかなり踏襲してはいるけれど, ユビン(ソン・ユリ 中央)は皇太子ゴンヒ(チャ・テヒョン ・ 一番左側)に期待という幻想だけを食べていきる女子ではない.(写真/文化放送)


このように、最近のシンデレラドラマは、絶対的だったキャラクター要素を少しずつ希薄していくなかで視聴者とTV評が問題だとみなしてきた明白な要素を巧みに避けて通り始める.
極端に一貫化されたキャラクターは、少しずつ多面化されていく.
だから、あんなことが私たちに起きるわけがないという, 現実と非現実に対する論議沸騰はこのようなドラマを批判するのに実際何らの意味もない. 必ずしもテレビが喉が詰まるような現実をそのまま再生する必要はないのだ.
ドラマとは, 元来ファンタジーだ. それが、ドラマがドキュメンタリーではない理由だ.
野良仕事を終えて農婦も, 一日中魚を釣って帰ってきた漁夫も, 試験勉強をする学生達も, 時にはあり得ないファンタジーに陥りながら少しの間慰安を得る.
それが、ある部分テレビドラマの課題であり、存在理由でもある.
重要なことは、劇中のリアリティをどれくらいきちんと構築するかだ. そのファンタジーの世界をどれくらい隙間無く埋めてあるかが関門である.
これまであまりにも安易なシンデレラドラマが生産されてきたことに比べれば、最近作られるドラマはその点で喜ばしく、嫌ではない.


‘品種改良’は続かなければならない

だが、SBSはタイトルが‘パリでのできごと’といっても全く異常でなかった<パリの恋人>に続き、<東京でのできごと>を準備中だという.
もちろん、同じ放送社で作られた模範的なドラマの枠組をそのまま持ってきて、異なる色で肉付けして新しい商品を作りだす製作形態は, 過去、日本ドラマを無作為に書き写してきた能無しのトレンディードラマが氾濫した時期と比較するならば幸いなことだ.
だが、‘SBS版海外ロケーションシリーズ’の生命がどこまで行くかは見守ろう.
憂慮の恐れとしては、ドラマが自分たちが作った典型に自ら固着して、新しいクローンを生産するという点だ.

△ <バリでのできごと>は、シンデレラの進化を予告したドラマだった.(写真/SBS)


相変らず韓国のシンデレラドラマは、主人公を醜い緑色の怪物として作ってもハッピーエンドに達する<シュレック>のような自主的な転覆に達することができなかった.
その代わりに、これまで否定的に指摘されてきた要素を変える方式で、逆転に成功した.
1対1ではなく、男子2, 女子2でなされた構造, 露骨でクールなジョーク, 現実的なエピソード, そうしたあと、自殺や被殺で終えさせる破格的な結末.
だが、新時代の視聴者の好みに合うメニューを探しあてたと安心する時ではない.
改良品種がメジャーになって大量複製される瞬間が来れば、視聴者は即座に食傷することが明らかだ.
この得意満面なドラマの新しい法則は、油性マジックではなく、鉛筆で書くのが良いだろう. 近い将来、消ゴムできれいに消さなければならない時がくるかもしれない.

申し訳ないけれど, それがドラマだ.