2005年6月ハンギョレ21 563号

わたしはどうして, サヌリムが凄く良い!

<ドアをちょっと開いて>でドアをあけたやんちゃな悪童3兄弟のコンサート 
韓国大衆音楽史のサテンのような二十八曲, 破格的なアマチュアリズム


□ チェ・ジソン/ 大衆音楽評論家

夏になった5月28日午後、ソウルジャンチュン体育館.
夫婦と子供たちまで加わった, 奮い立つような‘音楽広場’は行われていた.
ステージの近くに押し寄せた情熱派‘オンニ(註:お姉さん)’たちはもちろん, 普通の公演会場では顔も見ることがめずらしい‘オッパ(註:お兄さん)’たちが‘金切り声’で “愛しているよ”を叫ぶのに遠慮する必要がなかった.
しばらく吹いていた‘7080’の願いを置いて中・壮年層の華麗な(?)帰還となっただろうか.
そうであるはずだ.
このような風景がなじんだということは….
この日の公演のタイトルは‘2005サヌリム音楽演:29年間の胸のときめき’.
サヌリムが道を出て、いつのまにかイリム(而立)の年齢になったのである.

サヌリムとは誰か.
言葉そのままに、伝説と神話それ自体ではないだろうか.
1977年、空から落ちるすい星のように出現したサヌリムは衝撃的な事件として記録されている.
第1回文化放送大学歌謡祭で大賞を受けた<わたしはどうして(ナ・オットケ)>が彼らの作品だという事実も、彼らの人気街道に燃料を入れて火をつけた.
3兄弟‘アクドン’(楽童)たちは13枚の正規アルバムをはじめ、童謡アルバムを発表した.
キム・チャンワンとチャンフンは個人ソロアルバムも出して, 他の歌手たちの音楽にも協力を及ぼすこともした.
五十路に立ち入ったり彼ら.
末兄 キム・チャンワン(ギター・ボーカル)は中堅演技者であり放送人としてよく知られていて, 次男 キム・チャンフン(ベース・ボーカル)とキム・チャンイク(ドラム)は各々米国とカナダで会社の重役を受け持っている.

△ サヌリムの音楽演は、その時そのオンニ, オッパたちに熱い音楽の遊びをプレゼントした.写真 一番左側からキム・チャンフン, キム・チャンワン, キム・チャンイク 三兄弟.
 

1977年, すい星が現れた!

これからは韓国大衆音楽史の‘サテン’サヌリムに対する多くの物語はこの席では閉じて公演会場へ行ってみよう.
この公演で彼らは13集以後8年ぶりに邂逅した計算なのであるが, 長く待っていたファンに報いようという2時間近くの時間の‘音楽遊び’の間, 二十六曲とアンコールソング2曲を披露した.
女性キーボード走者とギタリスト長谷川(現‘トゥゴウンカムジャ’のメンバー, ‘コプチャンチョンゴル’の前メンバー)の助けを受けて….
公演は概略2部で構成されたのだが, 前半部は多少静的で物語的な歌が, 後半部は激しく熱狂的な歌が繰り広げられた.
公演のドアはサヌリム式ストレートロックンロール<ドアをちょっと開いて>と, サイケデリックな詩情が遭遇する<わたしの心にサテンを敷いて>が開いた.
続いて、<あなたを離れる日に雨が降るのか>(映画<幸福は成績順ではないでしょう?>を通して有名になった曲), <わたしに愛はあまりに冷たい> のようなキム・チャンワンの代表的な哀傷バラードが, キム・チャンフンが アコースティックギター伴奏に声を載せた<初夜>と<独白>がつながった.

2部は‘やんちゃロッカー’であることを証明でもするように、<お母さんと鯖>を筆頭に、<サンハラボジ> <腕白> 童謡スタイルの曲を始めた.
その後に続いて, サヌリム音楽のもう一軸として, キム・チャンフン特有のがつがつして不体裁な声がトレードマークである<わたしの心>(わたしの心は荒れ野原)と<特急列車(の中で)>も溢れでた.
この時、雰囲気が高まって公演会場は溶鉱炉に突変した.
キム・チャンフンが作曲、サンドペッブルズが歌った, ‘キャンパスグループサウンド’の代名詞(映画<薄荷砂糖(註:ペパーミントキャンディ)>にも出てきた) <わたしはどうして>で公演を終わり結ぶまで、この熱狂の渦は冷める方法を知らなかった.


30年, 40年、永遠に歌ってください〜

それなら、サヌリムの音楽を何と定義することができるだろうか.
パンク, サイケデリック, ヘビーメタルなど、多くの音楽ジャンル・スタイルが言及されるのだが、事実このようなジャンルとの一致可否は重要ではない.
演奏力や歌唱力の問題を超えたアマチュアリズムは初々しく新鮮で破格的だったから.
これは時々夢幻的なサイケデリック(あるいは奔放なヘビーメタルやハードロック)と, 時には‘やんちゃ小僧’の純粋な童心, 時には敍情的ながらも淡い少年少女的感受性と、化学作用を起こした.
合せて、精密な日常語で彩られた随筆, あるいは詩的想像力の遊戯で組まれた歌詞は、検閲時代の順調でない作業の中でもしっかりと生きていた.
それなら、こういうものは過去の事であるだけなのか.
彼らはこの日の公演で‘30年でも、40年でも、永遠に歌いたい’と表明した.
年齢によらず現在と絶えず交流して新しい音楽を持続的に作るということは、ひとりサヌリムだけの望みではないだろう.
私たちの内に作られた不実な歴史と環境のためにも、これはとても難しい願いだ.
それで、サヌリムにかける期待はより一層切実だ.

* 付け加えて: 最後に、公演で惜しかった点は間違いなく体育館の音響システムだった.
公演会場のサウンドはあまりに劣悪で、ボーカルと演奏サウンドどちらも明澄につかみ出されなかった.
そのため、四方に囲んで座る観客たちのために考案された円形ステージコンセプトはより一層光を放つことができなかった. 既存公演の何倍にも達するシステムが投入されたという企画社の説明も色を失う程であった.
だが、いつ、サヌリムが立派な機材と手堅い演奏力だけで音楽をしただろうか.
サヌリムの旅程を考えてみると(せつなくはあるが)、多少不愉快な演出や劣悪な公演システムは問題でもなかった.
そのような点で、サヌリムはサヌリムだった.
 

ギターで‘名盤’に乗る
サヌリム代表作5選, 初期サイケデリックから暖かい老熟まで

1集 <いや すでに>: 初期のアルバムはサヌリムの歴史上、珠玉のような名作だ.
この時期はざらざらしたファズトーンギターと無定形のキーボードが化学作用するサヌリム式サイケデリアが主導する.
<いや すでに 日が昇ったか> <ドアをちょっと開いてくれ>のような散文体(口語体)の小生意気な破格はもちろん, 美しい詩的叙情と接続する“たぶん 遅い夏だったね”に至るまでの全てのものが既成主流界とは違う状況だった.

2集 <わたしの心にサテンを敷いて>: 2集はオルガンの比重がより大きくなった.
前奏だけで2,3分台である<わたしの心にサテンを敷いて>をはじめ, テンポとリズムが多彩に変化して複雑な構造と噛み合う<ある日 咲いた>, 大学歌謡祭のヒット曲<わたしはどうして>が載せられた.
<別れるわたしたち>の伝統音楽的コードと接続した仕上げ方式は、一見1集の<青磁(アリラン)>と似ているが, ブルージーな様式とタリョン(民謡)よりも緊密に融解された.

3集 <わたしの心/ あなたは既にいる>: 3集に達すると、より実験的な容貌に集中する. 18分を超える<あなたは既にいる> 1曲でLP片面を満たしてしまったことだけみても象徴的だ.
夢幻的なフランジャーエフェクトをかけたギターに繊細な声が載った<一羽の鳥になって>と, 荒くて偽悪的なキム・チャンフンの声を通したよどみないサヌリム印ロック<わたしの心>(わたしの心は荒野原)は、アルバムの双曲点になるだろう.
音楽的実験が引き立って見えた.

7集 <行くな/ 真っ白い月/ 青春>(1981): ソラボルレコードからデソン音盤へ移籍した後の初アルバムであり, チャンフン・チャンイクが除隊後に3兄弟が協業した初めてのアルバム.
<行くな>など‘ひた走る’ロックンロール(あるいはサヌリム式ヘビーメタル?)から陰鬱さが交差する<青春>, 母に対する切ない感情を述べる<老母>まで, 主体のすっきりしていた整斎美で武装してサヌリム‘中期’を開いた.

13集 <虹>(1997): サヌリム名としては6年ぶり, 3兄弟の工作としては13年ぶりのアルバム.
彼らが各自旅立つ時の‘また帰ってくる’という言葉を信じない人々に‘衝撃’を抱かせた.
あたかも、当時インディバンドたちのパンクと交感するような<ギターでオートバイに乗る>と, ファンに対する献辞を捧げた<虹>が収録されている. 

他の歌手も育てる
キム・チャンワンはデソン音盤に入社した後、企画と作詞・作曲及びプロデューサーを兼任、彼と直・間接的関連を結んでアルバムを発表した者としては、ロカスト, ノゴジリ, ジャンキドゥル, イ・ソンヒ, ハ・ドッキュ等がある.
<姉は>と<回想>を歌ったイム・ジフンやトンムルウォン(動物園)はサヌリム式高品質バラード系譜の後裔だ.
一方、1980年代中・後半を広まったダンス歌謡系譜にも同乗した.
イ・ウンハ(1984)のアルバムにもサヌリムの曲が使われたのみだけでなく、キム・ワンソンの1・2集(1986・87)の作曲者はキム・チャンフンだった.