2006年11月ハンギョレ21 636号

泣き笑いを分ける挨拶, ディア平壌!

2006年11月22日 第636号

泣き笑いを分ける挨拶, ディア平壌!

金日成主義者の父と自由主義者の娘が刻んだ10年… 映画<ディア平壌>祖国・希望・故郷という、互いに異なる名前で北朝鮮を見る在日朝鮮人家族


□ シン・ユン・ドンウク 記者 syuk@hani.co.kr
□ 写真 パク・スンファ記者 eyeshot@hani.co.kr


韓国籍を持つ娘が朝鮮籍を持つ父のドキュメンタリーを撮った.
兄たちと甥・姪は平壌に暮らす.
済州島出身である父は、15歳以後には総連(在日本朝鮮人総連合会)活動家であり, 兄たちは1971年帰国船に乗って‘祖国’の懐に抱かれた.
母は若い時には専業活動家である父の世話, 老いてからは平壌の家族に‘贈り物’を送るために昼夜献身した.
娘は模範家庭の問題児であった. 祖国の呼びかけよりも自身の選択を優先した娘は, 革命家庭の2世が進まなければならない道を捨てて、自由な芸術家の人生を選ぶ.
父と娘は葛藤し, 和解した.
娘は大阪と平壌を行き来して家族史を撮った.
このように10年を刻んできた記録が、 ヤン・ヨンヒ監督の<ディア平壌>に収められた.
自由主義者の娘は金日成主義者父をどのように理解するようになったか, 金日成主義者の父は自由主義者の娘をどのように容認するようになったかを見て、痛みを感じ、和らぐ.
そんな<ディア平壌>を見ると、泣いて、笑い、また泣く(今でも涙がこみ上げる).
在日本朝鮮人の歴史に, 歴史が家族に残した傷に, あるいはそんな家族の話に関心がある人なら, 見のがしてはならない‘Must Have’映画だ.


“私にとって平壌はなつかしい家族がいる所”

<ディア平壌>は、私には今年封切りした映画の中で最高の作品だ.

=タイトルに‘平壌’を必ず入れたかった. 拉致事件以後, 大部分の日本人には北朝鮮と関連した全てのものは憎く見える. だから、‘平壌’は挑戦的なタイトルだ.
だが、ニューヨーク, ソウルのように単純な都市名である場合もあるではないか.
私にとって平壌は大切な人々が暮らす所で, 私たち家族が会うことができる唯一の場所だ.

家族は家族に会うために海を渡る.
船からおりて平壌へ向かうバスで、案内員は“全世界社会主義革命の首都 平壌”など‘公式コメント’を詠じる. 瞬間、車窓の外をかすめる立看板,‘平壌16km’.つながる監督のナレーション.
“私は, 私が決して祖国の懐に抱かれるということではなく、革命の首都へ向かっているものでもなく、会いたい人がいる所, 会いたい人が私を待っている所へ向かっていることを確信する.” ‘平壌’の前にある‘ディア’は多様な顔を持つ. 時には形式的な言葉として, 真心を込めた言葉としても聞こえる.
監督は父母, 兄, 甥・姪たち, 各々の‘ディア平壌’を語った.
“父は15歳以後には平壌だけを眺めながら生きてこられた. 兄たちにとって、平壌は希望を抱いて向かった都市だ. 甥・姪たちにとっては故郷. 平壌で生き残ろうと努める家族と人々に対する親近感と尊敬を持っている.”

2000年に在日同胞取材に行ってきたことがある.
終生を総連に献身してきた人々を見ながら憂鬱になった.
これほど対応無策である歴史もないと考えた.
解放後の日本にいたとすれば, 私はどんな選択をしたのだろうか.
彼らは懸命に生きて信じたが, 半島の歴史は彼らの信頼とは違うように流れた.
そして、世の中は彼らの選択が誤ったと語る.
このように怖い歳月とせつない歴史を私は知らない.
2000年, <ディア平壌>の背景である大阪 生野にはもう一つの‘ヤン・ヨンヒたち’がいた.
率直に彼らを家族が人質にとられて, 人生を捕虜にとられた不幸な人々として考えた.
だが、相変らず金日成主義者の父が“(北朝鮮に三人の息子を)送らずにいたら良かった”と語る<ディア平壌>を見ながら, むしろ悟った.
彼らは歴史の敗北者では無く, 彼らを人生の敗北者としても断定出来ないという事実を.
そのように、誰にでも人生の荷物があるように, 彼らにも荷物があるだけだと.


家族を繋いてくれる綱. 萬景峰(マンギョンボン)号

北朝鮮や総連から映画に対して不平はないか.

=父が後悔するようなことを話さずに, 胸に勲章を付けて忠誠発言をする姿だけが出てきたとすれば, むしろ総連に対する否定的イメージが固まったことだろう. だが、父が人間的な姿を見せて、総連に対するイメージが変わったという人が多い.

△ 平壌の兄たちと父が共に撮った写真(上).
父と母は本当に仲が良い夫婦だ(下).


人間的に理解するようになったのだ.
特に、萬景峰号といえばサングラスをかけたスパイを連想した人々が、その船が家族を繋いでくれる船だと考えるようになったという.
同胞たちは、総連でも在日韓国民団でも、政治運動を経てきた方達はあまりに内々な自身の話なのでうろたえている.
今話すように、北朝鮮に行った人々も熱狂的に行ったのではない. 当時としては最善の選択だった.
日本は差別が激しくて, 韓国は政治的に複雑だったから.
はなはだしきは、日本赤十字と言論も‘民族の大移動’として美化した.
日本政府も在日本朝鮮人を日本の地から出したくて同調した.

父の一言を政治的に解釈することもある.

=人も, 国家も多面的だ.
ひとつの側面だけを見て事を決めることはありえない. 内服を着て夫人を愛する可愛い父と、首領様に忠誠を誓う教祖的な父, どちらも私たちの父の姿だ.
兄さんを送ったことを後悔するという言葉も, 首領様に忠誠を果たすという確認も、どちらも本気だ.

在日同胞, 特に総連系2世たちの父に対する感情は格別で複雑だ.
映画<血と骨>でも父は権威的で, 息子たちは反抗する. ヤン・ヨンヒ監督も、一時は父と話もしないほど不和だった.
彼女の自由主義気質は<ディア平壌>の底辺に流れる情緒だ.
監督は幼い時から母が服を買ってくれば,“頼むから私を服屋さんに連れて行って”とせがむ子供だった.
監督は“結局は母が買ってきた服を私が選んだことにして、それで初めて納得した”と笑った.
だから、組織と国家の決定に沿うべき人生と不和の方法以外にない.
特に、高校時期に進路指導が始まりながら葛藤は大きくなった.
平壌の兄さんたちと活動家の父にしたがう生活を送るべきだという‘指導’に苦しめられた.
朝鮮大学に進学しながら思想教育が強化されて, 彼女は“刑務所のような大学”とため息を吐いて酒杯をあおった.


ビートルズのファンである兄さんは平壌でどうやって暮らすのか?

総連系の青少年たちは、真に奇異な人生を生きる.

=学校のなかでは‘朝鮮第一’を学び, 学校の外ではロックコンサートに行く.
二つの世界がリンク出来ないながらも共存するのだ.
だが、二つの世界がリンクする瞬間、どちらかひとつを選択せざるを得ない.
日本の歌を聞いて, 米国映画を観てきた私が、外側の世界を選択したことは当然だった.
一方で、私は逃げる世界があるけれど, 兄さんたちはどうなのかを考えるようになった.
ビートルズが好きでコーヒーなしでは生きることができないでいた兄さんたちが平壌でどのように過ごすのか, 実感を持って考える契機であった.

映画を見てから心配になった.
監督が国籍を韓国に変えたというが, ひょっとすると北朝鮮の兄さんたちに会うことができなくならないだろうか.
ヤン・ヨンヒ監督が話した.
“国籍が韓国でも, 日本でも, 北朝鮮に家族がいれば行くことができる”.
“かなり以前からそうだ”と.
むしろ、韓国が朝鮮籍在日同胞の韓国訪問に難色を示す.

そして、萬景峰号は離散家族を繋いでくれる.
核兵器も彼らを止めてはいけない.

<ディア平壌>は11月23日から明洞CQNで上映される.