2007年7月ハンギョレ21 667号

重い時代を軽く越えろ
京城モダンボーイの軽くて魅惑的な愛, ドラマ <京城スキャンダル>
2007年07月05日 第667号

重い時代を軽く越えろ
京城モダンボーイの軽くて魅惑的な愛, ドラマ <京城スキャンダル>


□ イ・ダヘ 自由寄稿家

“祖国, 民族, 解放. 階級, 革命, 自由. 独立, 闘争, テロ. そんなものは, 犬にやってしまえ.”
韓国放送 水木ドラマ <京城スキャンダル>の最初の場面, ソン・ウワン(カン・ジファン)はそう宣言して、クラブでスイング音楽に合せて踊る.
日帝時代の京城(註:現ソウル), ソン・ウワンは女の子にも関心がある“世の中のことを知らない親日派の金持ちの家の若い息子”だ.
彼は祖国解放よりも自分自身の解放がまず先だと堅く信じている.

一方、ナ・ヨギョン(ハン・ジミン)は、理化学堂で新教育を受けたが前近代的な女子だ.
彼女は親日派とモダンガール,モダンボーイを軽蔑し, 独立運動に積極的に参加する.

<京城スキャンダル>は、その二人の男女がぶつかりながら恋に陥る話だ.
西洋風, 日本風, 朝鮮風が混在したまま沸き立った1930年代の京城は、社会的雰囲気として見るか‘イメージ’として見るか、時代的に見るかで, 彼らのロマンスに色違いの味を吹き込む.
抗日や反日というようなラベルなしでは扱うのが難しかった時代を背景に, 青春男女のロマンスをはつらつと描いている.
ドラマの一方では、独立運動をする者たちの話が繰り広げられるが, こちらでさえも重さが軽い.


△ モダンボーイ ソン・ウワン(カン・ジファン)は、独立運動にかかわっているナ・ヨギョン(ハン・ジミン)を誘惑する賭けを友人たちとしたが、ナ・ヨギョンに陥る.

<京城スキャンダル>はロマンス小説である<京城哀史>を脚色したドラマだ.
おもしろい点は, 時代描写で男女主人公たちの関係において、ドラマが原作小説よりはるかに軽いという事実だ.
<京城哀史>がどんなに地団駄を踏んでも抜け出せない時代の陰を濃厚にたれ込めているのに対し、<京城スキャンダル>は‘それにも拘わらず’若さを楽しもうという青春の話がドラマの中心にある.
<京城哀史>から<京城スキャンダル>に変わったタイトルの間隙ほどに, 原作と現在放映中であるドラマの情緒の間には距離がある.
コメディアン出身の俳優たちが助演で起用されたという事実は, 脚色過程で軽さと笑い, 軽快さに比重をおいたという事実を証明する.


‘奇抜さ’と‘溌刺さ’を越えて無理なことも

<京城スキャンダル>は実存した時代や人物を扱うのに厳格な考証を通して歴史的重さと空気を忠実に再現しなければならないという強迫から大変自由だ.
このような時に日帝時代の京城という所は、外国のどこよりも‘エキゾチックな’ステージとして作用する.
朝鮮時代以前のように生活像が‘今, ここ’と乖離していなく, 外国のように異なる民族, 異なる言語を使う人が主をなして異質感を与えるわけではないが, あらゆる面で違う.
チャ・ソンジュ(ハン・ゴウン)がキーセンであるという事実は話程に‘絵’に助けになる設定だ.
キーセンの韓国民族衣裳やゲイシャの華麗な着物, 洋式衣服まで幅広く消化するためだ.
独立闘士, 祖国の独立という話が随時登場人物たちの口にのぼるけれど, ほとんどその響きが伝わらない.
フュージョン史劇を標榜する最近の史劇ドラマがこの頃の生活像と類似の何かを話に引き込もうと試みながら、時には‘奇抜さ’‘溌刺さ’を越えて無理をするという感じも否めないが, <京城スキャンダル>もやはり序盤の流れではハラハラさせる.
面白さでだけ見れば、趣向によって大きく文句をつけられない可能性もあるが、1930年代の京城は時代の風景という面でははるかに多くの感じが沸き立った所であるためだ.
一夜寝て起きればどきっとするように変わる時代の風景, 皆が馴染まない空気中に惑わされずに情熱を傾けた、その当時の京城の魅力が単純に図式化されたのではないかという感じを拭うことができない.


その時代にも‘モダン男女’は上得意主題

△ モダンボーイ 京城を散策する

モダンガールとモダンボーイは, <京城スキャンダル>で重要なキーワードであると同時に、最近映画とドラマ化が活発な1920〜30年代の京城を区分する特色でもある.
<京城スキャンダル>のモダンボーイは, 無謀さと時代に干渉しない自由奔放さで戯画化される.
劇中でかなり“最近”の雰囲気が漂うのは事実だが, 実際、当時の京城でも彼らの存在はともすれば新聞の漫画と記事のネタになった.
現実文化研究で編集して出した<モダンボーイ 京城を散策する>(2003)に引用された“変わった美男美女氏”という当時の新聞記事はモダンをこのように風刺した.
“結婚もすぐにして, 離婚もすぐにして、嫁に行く前に子供も作って産んで, 自殺もすぐにする最近の若い女子たちの行動は皆が流線型式だ.” たとえ大部分の モダンガールたちの学歴に似合う職業を見つけられなくて、既に婚約者や妻があるモダンボーイたちの妾にならざるをえなかったのだが, 多くのモダンボーイたちは朝鮮‘最初の’職業に挑戦できる機会を作っていくことができた.
その地点から多くの映画が物語を捜し出した.
<ラジオデイズ>は、朝鮮最初のラジオ放送局のPDの話を扱って, <ダリフォンガール>(ガーゼ)は、京城の電話交換手‘ダリフォン(テレホンの日本式発音)ガール’の話を扱った映画になる予定だ.
<奇談>は、1940年代京城の現代式病院を背景にした連鎖殺人事件を扱って, 8月1日封切りを控えている.
<モダンボーイ>は、朝鮮総督府で働くある青年の話を扱う予定だ.


時代の風景をイメージと音楽で

1920年代末から30年代初めの京城という都市の日常は、短い希望と長い絶望で彩られていた.
テーブル上に置かれた空の薬瓶に挿された花のように, 幻想の花には根がなかった.
西欧文化に対する強制された欲望とかけ離れた植民地朝鮮の生活現実が持つ二重性, 今, ここでその風景を生き返らせようというブームを起こした.
<京城スキャンダル>は、そのような時代の幅と深みに応えられなかったが, その時代の魅惑をイメージと音楽で蘇生することではある程度成功を収めたわけだ.