2012年1月ハンギョレ21 893号

サムチョク市民の反核伝統は原発怪物をはね除けるか

 [2012.01.09 第893号]

[焦点] 原発白紙にもどすこと 記念塔など 二回‘核’をはねのけた歴史… 日本 福島 原発事故以後、反対世論高潮

≫ 環境・市民・社会団体で構成された‘核のない社会のための共同行動’会員たちが、2011年12月26日、ソウル世宗文化会館階段前で江原道サムチョクと慶尚北道ヨンドクの新規原子力発電所選定撤回を要求してデモを繰り広げている.
<ハンギョレ> リュ・ウジョン記者

2011年12月23日午前10時、韓国水力原子力株式会社(以下 韓水原)は、原子力発電所新規建設のための敷地予定地候補として江原道サムチョクと慶尚北道ヨンドクを選定したと発表した.
真に驚くべきことだ.
韓水原は一事業者にすぎない.
原子力発電所はものすごい主題である. 国家次元のエネルギー政策に属することだ.
一度決定すれば、その影響から抜け出すまで何百年, いや、何千年もかかるかもしれない国家の重大事だ.
このような巨大な計画を一事業者が発表するということ自体が、果して国民の目にはどのように映っただろうか?

去る1年6ケ月間、サムチョクでは奇怪なことが多く行われた.
サムチョクが原子力発電所新規敷地候補地に選ばれる過程で, 高度に計算された方式でサムチョク市民を弄ぼうという各種トリックが乱舞したという事実を知る人は多くない.

話は2010年5月に遡る.
当時、キム・デス サムチョク市長はハンナラ党公認から脱落し, 無所属での再選挑戦を宣言した.
その年5月11日、出馬を宣言する記者会見でキム市長が“21兆ウォン規模の世界原子力研究院を誘致する”と宣言して、問題が開始した.
‘研究院’という単語が持つ属性はなにか? 人々は白い建物の研究院と大学の建物・研究棟などを思い起こしたことだろう.


原子力研究院 → スマート原子炉 → 原子力発電所

研究院が原子力発電所に変身するなどとは、誰も知らなかった.
そして、‘21兆ウォン規模の国策事業を誘致する’という公約だけがサムチョク市民に効いていった.
キム市長は健康を言い訳に、市長候補テレビ討論にも参加しなかった.
このような非民主的態度でも、彼は再選に成功した.
当時、選挙で‘原子力発電所誘致’という話をすれば, たぶん選挙の様相は変わっていただろう.

当選直後からキム・デス市長は言葉を変え始めた.
言葉尻にけちをつけるわけではない.
サムチョク市が出した‘市長指示事項’という公文書をふまえての話だ.
どのように変わるのか、注意深く、注意深くみよう.

2010年7月2日には、明らかに‘原子力発電研究院’誘致であった.
その年9月8日には、‘スマート原子炉誘致’と言葉を変え, ついに、10月18日、幹部会議で公式的に‘原子力発電所誘致’を宣言する.
そして、原子力発電所誘致申請同意案を提出し, 市議会まで弄ぶことが行われた.
その年12月に発表した国土海洋部の‘東海岸圏発展総合計画’に、既に原子力クラスター事業は慶尚北道と蔚山地域の東海岸圏で登載されていると, 同じ月6日、市議会に提出した同意案の名称を‘原子力クラスター構築のための原子力発電所新規敷地誘致申請同意案’と書いたのだ.
ここまで来るのに僅か6ケ月だった.
急いで食べたご飯は胃もたれのもと.
言葉がない多数の市民たちまでが誘致に同意していると誤算したキム市長は、市議会に誘致申請同意案処理を要求, サムチョク原子力発電所誘致白紙にもどすこと闘争委員会(以下 反闘委・常任代表 パク・ヒョンピョ トギェ聖堂主任神父)が一部市会議員を説得して、用意した住民投票要求を受け入れた.
市会議員8人全員が原発誘致住民投票同意署名簿を作成・署名し, サムチョク市は住民投票をするという意味を込めた文書を市議会に送った.


反核世論強まると、候補地発表延期‘見せかけの形’

2011年になると、キム市長は強大な行政力を土台に政府系団体を総動員し、誘致賛成の雰囲気を作っていった.
韓国原子力文化財団の支援を受けて、原子力発電所団体見学が連なると, 政府系団体名義で誘致支持横断幕が掲げられ始めた.
横断幕は、初めは1・2枚ずつ広げられる水準だった.
しかし、間もなく、邑・面・洞長(町長)までが出てきて督励し, 各地域の小さな団体はもちろん、市に納品する業者に至るまで、まるで横断幕競争でも繰り広げているかのような姿になった.
はなはだしきは、市内の食堂と旅館までが誘致申請賛成横断幕を掲げる珍しい風景が演出された.
市内に掲げられた懸垂幕だけでも1千枚を超えた.
それこそ‘横断幕全盛時代’であった.

その頃、‘原子力発電所誘致協議会’が作られて, 2月中旬から誘致申請賛成署名を受け始めた.
署名作業が遅々として進まないので、市の公務員が動員された.
そのようにして受けた誘致賛成署名者名簿が、サムチョク市有権者の96.9%に達すると市側は宣伝した.
確かめよう.
全体有権者中に3.1%だけが反対したわけだ.
約1788名だ.
ところが、2011年4月、江原道知事補欠選挙時に不在者として申告した人だけでも1859名だ.
サムチョクにいなかった人までが誘致賛成 署名をしたということなのか?

それでもキム市長は‘圧倒的な賛成世論’を強調し, 2011年3月2日、職員朝会で“約束したことではなく, 法的にもできない”として市議会に約束した住民投票を撤回してしまった.

そして3月11日、日本 東北地方強震と共に福島原発事故が炸裂した.
リアルタイムで伝えられる原子力発電所の状況に接すると, 人々の認識が変わり始めた.
強硬に禍々しく粘っていた誘致賛成横断幕が人の目をはばかりながら消え始めた.
福島 原子力発電所爆発事故以後、反闘委 事務室を訪れる人が着実に増えた.
降り注ぐ言論の関心は手に負えない程であった.
4月4日、反闘委はサムチョク大学路公園で大規模集会を開いた.
全国的関心を反映するように、チョン・ドンヨン民主党最高委員, 進歩政党のイ・ジョンヒ・ジョ・スンス議員などの有力政治家が大挙参加した.
1千余名が集まったこの日の集会で市民たちも徐々に自信を持つようになる.

全国の環境団体と連帯が作られた.
世界的環境団体 グリーンピースの‘レインボーウォーリア’号が、6月22日に17年余ぶりにまたサムチョク港に入港し、市民と肩を並べてデモ行進を繰り広げた.
毎週水曜日、‘核のない世の中’を祈願するミサとろうそくのあかり集会が今でもつながっている.

“上半期中に候補予定敷地を発表する”としていた韓水原が年末発表時点を変えたのは沸き立つ世論に押されたためだ.
‘にわか雨’を避けるという、一種の‘見せかけの形’であった.

サムチョクは、1990年代(発電所)と2000年代(廃棄場)の2度にわたって‘核’をはね除けた大切な歴史がある.
今でも、クンドク面 トクサン里 マウムチョンに行けば、当時の反核闘争を記念して作った‘8・29記念公園’と‘原発白紙撤回記念塔’はその席を守っている.
環境運動家たちの話を聞いてみると,‘原発白紙撤回記念塔’がある所は世界でサムチョク唯一だとか.
去る1993年にも、今回新しく原子力発電所候補敷地として選ばれたまさにその場に原子力発電所を建てようという試みがあった.
その年の8月29日、クンドク面住民たちはクンドク小学校運動場に駆せ参じた.
約7千名を増えた人の波は‘原子力発電所敷地解除’を要求し、市内に集まっていった.
当時、クンドク面の人口が9千名近くであったから, その熱気を察するに値する.
‘8・29記念公園’は、そっくりその歴史を大事に保管している.


韓水原も“原発誘致サムチョク市民賛成50%未満”

韓水原は、2011年12月23日、新規原子力発電所候補敷地を発表し, “原発誘致に対するサムチョク市民の賛成世論が50%に及ぶことができない”と自ら認めた.
それなら、候補敷地選定決定は即刻撤回されるべきだ.
この文を書いている今, 日本では54基の原子力発電所中で6基だけが稼働している.
それでも日本が全国的停電事態を体験したという消息はまだ聞かれない.
福島 原子力発電所爆発事故以後、世界各国がエネルギー政策を根本的に変えている.
‘脱核’は大勢だ.
原子力発電所はすでに‘良心の問題’になった.
‘生命’より大切なことがあるか.
 

イ・グァンウ サムチョク原子力発電所誘致白紙にもどすこと闘争委員会 企画広報室長