2013年9月ハンギョレ21 977号

〈スーパースターK〉の跳躍と下降

 [2013.09.09 第977号]

成功の逆説 システムになった奇跡 地上波芸能の外側から放送の地形を変えた<スーパースターK>
斬新的‘ネタ探し’がなく、視線を外せないプログラムから転落


キム・ワン〈ミディアース〉記者


心から、そして精一杯、偉大な番組だと呼んであげたい.
<スーパースターK>が放送界に及ぼした影響は多分に天地創造と呼んでも良いほどのことだった.
<スーパースターK>は、地上波とその他に区分された放送の地形自体を変えた番組で, 地上波芸能の外側から大衆の娯楽を作り出すほとんど唯一のフォーマットだった.
主流から離れて主流を変え, 誰も予想すらできない所で爆発した.
近来、韓国社会の大衆文化全体を論じても, 最も注目するだけの‘挑戦’であり‘成功’であるこの番組は、しかし‘奇跡を歌いなさい’というコピーの斬新さが実際に奇跡に向き合った回数に置換されていって、もうこれ以上どんな奇跡が発生しても驚かない程にまた慣れっこになった.

<スーパースターK>は、<全国ノド自慢>を原形質とするオーディションの起源を離れて高い所まで跳躍させたが, 逆説的にその跳躍された高さからすでに徐々に下降している.
<スーパースターK>を追って生まれた数多くの亜流作は、当初<スーパースターK>の‘影響力’として称賛されたが, その亜流作たちとの出血競争の中で<スーパースターK>はもうこれ以上どんな奇跡を見せて何を歌わなければならないのかという方向を失せていっている.
‘悪魔の編集’と‘60秒後に’の破格はいつのまにか飽きられて, もはや斬新的‘ネタ探し’に 全力を尽くさないと話題を集められない、そんな番組になっている.
‘奇跡’と呼応して(シーズン1), ‘公正社会’を呼称して(シーズン2), ‘アマチュアリズム’の真髄を見せ(シーズン3), スターダムの画期的‘経路’を提示した(シーズン4)の時間はもう過ぎた.

また、訪れた<スーパースターK 5>は、今まで<スーパースターK>が確立した経路に沿って安定した視聴率と変りない呼応を誇示するように見えるけれど, 今よりもっと小さかった時期に見せた破壊力と活力はまだ探せないようだ.

‘奇跡を歌いなさい’であった<スーパースターK>のスローガンは感動の最大値を約束する呪文と同時に、<スーパースターK>がもつ魅力を最も正確にあらわすスローガンであった.
人生が変わる奇跡を誰が獲得するのかの単純な回路上で、大衆は猛烈に集団的にそれを気にかけた.
だが、いつのまにか、その奇跡の争奪までがシステム化された.
そして、演芸産業のコンベヤーベルトの外側の領域のように見えたそのフォーマットまでが、すでに明らかな産業化の道を歩むようになった.

‘自分の点数は?’をトレードマークとして, <スーパースターK>の象徴として君臨するイ・スンチョルは‘世の中という舞台では皆が同じアマチュア’と歌った.
一時その叫びは明らかに感動的だった.
相変らずその叫びがどんなひらめきを提示すると話すことができるだろうか.
偉大だったある番組の時代が確実に暮れている.

≫去る8月4日、ソウル広場公開舞台で<スーパースターK 5> オールスターコンサートが繰り広げられている.
写真 ニューシス
 


生産者機会費用まで収容者に回す不当取引
TVも努力・費用をかけて楽しまなければならない現実が悲しい

ウォン・ヨンジン 西江大教授

消費費用が増加している.
物価が上がったということとは違う.
物価が下がったように見える場合でも、商品を買う人が商品の他の費用を支払って高い消費をしている.
大型割引店の物価は安く見えるけれど、几帳面に確かめれば、商品を一度にたくさん買って冷蔵庫に置く場合の電気料金, 大型冷蔵庫購入費など、消費者が行なう負担が馬鹿にならない.
その高い購買を積極的に私達がやっている.
問題は、大型割引店で物を買うことだけにその高い消費が限定出来ないという点だ.
以前、いくつかの大学で教養英語教育を放棄する予定という報道があった.
あらかじめ英語学習を済ませてある学生達に教養英語を教えることは無駄だという判断があるようだ.
課外で早朝学習を終えた高校生たちが、いざ学校に来ると皆寝ている姿が大学でも生まれたのである.

社会が共に行なう費用が個人の役割に転嫁されることは、買い物をする上での個人的費用, 教育での個人費用のようにあらゆる日常に広まっている.
はなはだしきは、茶の間で気楽に見られた芸能番組でも、精魂を込めて受け入れろというサインが殺到する.
テレビの芸能番組をおもしろく観たければ、大きい図体の情報ダミーをもたなければならない.
<ランニングマン>の主人公たちに対する適切なデータベースをもたないと、その番組から面白味を求めることができない.
リアルバラエティーショーをおもしろく観たければ、あちらこちらに散らばっている演芸情報を丹念に集めなければならないのだ.
演芸情報に疎い人が<ランニングマン>をおもしろく観ることができるはずがない.
芸能スペックを持つことができなければ芸能消費でも除外されるのが常だ.
テレビを見ることにも個人費用を払うのが一般化になる趨勢だ.

<スーパースターK 5>は個人負担するのが日常化になる絶頂だ.

財閥放送は時を与え, 世の中のあらゆるスペックを習得した者たちが競争を繰り広げる.
演芸企画社代表が出てきて競争者を選ぶ番組時だけは、選んで研修させるという手順が主要ストーリーラインを構成していた.
だが、<スーパースターK 5>は、これからその稜線を越える.
研修させる必要がない者を選抜する番組としての位置を占め, 残りはその主要目標を隠すアリバイとして存在する.
競争者たちの事情を聞かせてくれるように見えて、観客もそれに熱狂するけれど, その中には‘既にスペックを完成した者’を選ぶ目標を内在している.
生産する側が行なう機会費用を、製品を受け入れる側がみな負担してしまう現状の最高点に置かれた<スーパースターK>.
これは、大型冷蔵庫にいっぱい商品を詰め込む電気料金と大型冷蔵庫費用を負担すること, 塾で教育をやり遂げること, 芸能番組をよりおもしろく観るために各種芸能情報を習得することと系列をなす.
生産し販売する彼らの費用を減らして、その負担を一手に引き受ける場合は既に私たちの生はあまりにも疲れている.
<スーパースターK>が涙が出る程, その中の競争者たちの話が腰が曲がるほどおもしろくても、その面白味は悔しい面白味である可能性が大きい.

面白味の中で悔しいことも捜し出す面白味を一回くらいは享受してみてはどうだろうか.