2013年10月ハンギョレ21 982号

ヘッテも DJ(註:金大中氏の呼称)も, ムドン球場も 去って…

 [2013.10.21 第982号] [地域通信]

10月4日 最後の試合をもってプロ野球史の裏舞台に退場した光州ムドン球場

≫ 去る10月4日午後、光州北区ムドン球場で最後に開かれたKIAタイガーズ対ネクセンヒーローズの試合でKIAファンたちが観客席にムドン野球場を追憶する垂幕を掲げた.
ニューシス



“船頭の舟歌 かすかに / 三鶴島〜波沈みゆく / 埠頭の新妻 漏らすす / 離別の涙か? 木浦の悲しみ.”

その時期、球場にはいつもこの歌が鳴り響いた.
観衆は試合が進行中である時は観衆席で, 試合が終われば周辺道路で、この歌で声をあげた.
湖南人の永遠の愛唱曲<木浦の涙>だ.
1982年、韓国プロ野球がスタートして以来、1990年代中・後半に繰り広げられた光州ムドン球場の風景だ.
人々はホームチームであるヘッテタイガーズ(現 KIAタイガーズ)を応援しながらこの歌を熱唱した.
‘キム・ボンヨンがホームランを打ったり, キム・ソンハンがヒットを打ったり, ソン・ドンヨルが三振をとったり, イ・ジョンボムが盗塁をしたり’すれば間違いなく歌った .
試合が終わった後にも、三々五々歌いながら帰宅する人々が多かった.
1980年代後半から1990年代中・後半まではヘッテの全盛時代であった.
キム・ボンヨン・キム・ソンハン・キム・ジョンモ・ソン・ドンヨル・イ・ジョンボムなど、不世出のスターが並んでいたヘッテをやりこめるチームがなかった.
この期間に何と9回も韓国シリーズを制覇したから、多分に‘ヘッテ王朝’と呼ばれることだけのことはあった.
連戦連勝するヘッテの成績によって歌の調べもより一層力が出た.
ヘッテの試合がある日、球場周辺は夜遅くまで<木浦の涙>で染まっていた.

ムドン球場と<木浦の涙>.
なぜかぎこちないようながらも、近しく見られるこの組み合わせをどのように説明しなければならないだろうか? その二つだけをおいてみると首が傾く.
だが、ここにヘッテと湖南と金大中前大統領を入れれば話が変わる.
野球場で歌う<木浦の涙>は単純に歌ではなかった.
ホームチーム ヘッテの勝利を念願する応援歌であり、数十年間疎外されて圧迫されてきた湖南人の憂憤だった.
湖南人の恨であったし、涙だったのだ.
彼らは<木浦の涙>を歌って金大中前大統領を追慕することもした.
湖南人の政治的疎外と悲しみの象徴である金大中を野球場で探すことは、どちらかといえば、当然なことであったかもしれない.
ヘッテ野球の勝利を通して、その悲しみをすこしではあるがなだめることができたのだろう.
ヘッテとムドン球場, 金大中は、当時の湖南人にとっては唯一の脱出口であり希望だったわけだ.
皮肉なことに、1997年、金大中前大統領が政権交替を達成した以後には、その歌の調べを聞くのが容易ではなくなった.
また、2000年代に入ると、新世代観覧文化が席巻して、その命脈さえ薄くなったから‘隔世の感’といわざるをえない.

来年以後にはこちらではもう<木浦の涙>を聞けなくなった.
去る10月4日に開かれたKIAタイガーズの2013年シーズン最後の試合を終わりに、ムドン球場時代が幕を下ろしたためだ.
32年間ヘッテ・KIAと共にした栄誉と恥辱の時間を後にして, 2014年シーズンからはホーム球場の地位をすぐ脇の‘チャンピオン フィールド’(新築)に渡すことになった.
‘新しい球場建設’という光州市民の念願がかなって幸いだが, なぜか、胸にぽっかり穴が開いているのは私だけではないことだろう.
もちろん、新しい球場でも、時々は<木浦の涙>が歌われるはずだ.
KIAタイガーズのホーム球場であるから、いつでも観衆席から流れ出ることができるだろう.
だが、その感興が1980〜90年代のムドン球場のそれと同じかはわからない.
しばらくは、ムドン球場がかなり恋しくなるだろう.


光州=オ・イルジュン 全南大学校 スポークスマン