99年9月273号ハンギョレ21

人の話:キムハ ナイトクラブをご存知ですか


hangyore99_273.jpg (12212 バイト)花の青春を戦場に捧げなければならなかった、ベトナム戦の兵士たちが痛みと溜息と懐かしさをビールの泡に溶かし込む所. 当時“あまりにも有名で、カムランに駐屯した韓国軍ならば誰でも憶えているだろう”と言われる キムハ ナイトクラブ. 時折韓国歌手の慰問公演も開かれた キムハ ナイトクラブは、“週末ならば、一夜で 600ケースのビールが売れる程”に大繁盛した.

しかし、25年の歳月が流れ、また訪ねたそこは、あたかも爆弾でも落ちたかのような廃虚に化していて、遠くからやってきた旅人の心を重くした. 韓国から直接料理長を連れてきて、キムチチゲ, ビビンパ, 冷麺等、おいしい故郷の味を提供し、“立ったまま食べて行く人がでる程に混雑した”という 1階のアリラン食堂には、怪しげな簡易床屋が入っていて, その内部で旅館として使われた部屋は、壁の骨組だけが残ってゴミだけがほうり込まれていた.

ああ, しかし、そこには、三十年の歳月をひたすら待ち続けてきた女性, パンティハイ(70) おばあさんがいた. 67年、韓国の建設会社職員だった吉・某氏と再婚し, 共にアリラン食堂とキムハ ナイトクラブを運営したおばあさんは, 筆者が“韓国人なんです”と話しかけると涙を溢れさせた. 糖尿病の合併症で2年目の病床を送っているおばあさんは皮膚病で腫れ上がった手をあげて、とめどなく筆者の顔を撫でた.

“軍隊の幕舎から残飯を貰ってきて、豚や鶏も飼って、とにかく金になることならばなんでもしたよ. 夕方には布袋にドルが満杯になったよ.” 一時は水タンクのためなどで、自動車を12台も使う程に良い生活をしたという ハイ おばあさん. しかし、統一直後、ベトナム政府が事業家だった夫に韓国軍大佐という汚名を着せて財産を没収し、ひどい貧乏になったという. 十余年間、財産をとりもどすために裁判を繰り広げたが、いまだに解決していないし, 現在は臨時居住許可だけを受けている状態だ.

パンティハイ おばあさんは、韓国人の夫 吉氏との間に二人の息子をもうけた. 夫 吉氏は、戦争が終わる直前、故国へ帰ったという. 当時、吉氏は長男のソンギ(33)氏を連れてベトナムを離れたのに, 韓国へ行く途中でマレーシアの孤児院に任せて, 次男 ソンホ氏は、お母さんと共にベトナムに残した. おみやげとして持ってきた人蔘茶を渡すとおばあさんは“ああ、わたしのことをよく知っているのですか. 以前、夫がたくさん買ってくれましたよ. 懐かしすぎます!”そして、また再び泣き崩れてしまった. 手の甲を伝って流れる涙の中には、おばあさんが送ってきた歳月の辛さが溶け込んでいた.

カムラン=ク・スジョン通信員
chaovietnam@hotmail.com

ハンギョレ21 1999年 09月 02日 第273号 .


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