
大きなテーマを内包して封切りする ‘春香傳’と‘鉄道員’.
この二編の映画は、韓国と日本の大衆の感性によく合う作品だ.
‘春香傳’は、近代化が私たちの精神をどのように歪曲させたのかを反省させる.
‘鉄道員(註:原題「ぽっぽや」)’は、日本の近代化を成し遂げた、父の世代に捧げる献辞だ.
ハリウッド
テクノロジーと西欧資本主義の全地球的攻勢に、極東の二老将監督は、彼らが最もよく知っていることを映画化する戦略で対抗した.
‘西便制’の林權澤(イム・グォンテク)監督は97番目の作品として‘春香傳’を作り、今年67才の日本の降旗康男監督は、‘鉄道員’を演出し、昨年、日本で450万名の観客を動員した.
大きなテーマを内包して、1月29日、同時に封切りする二編の映画は、韓国と日本の大衆の感性によく合う作品だ.
評論家
ビョン・ジェラン氏の話では、春香が“韓国社会が困難な時に登場する女性像”という意味を持つように、日本人たちにとって、鉄道は単純な追憶以上だ.
いつも、大陸に進出しようとしてきた日本において、鉄道は大東亜帝国建設の野心であり、息がつまるように走ってきた近代化の象徴でもあったのである.
‘鉄道員’の主人公は、妻の死の前でも“鉄道員であるから泣くことができない”という佐藤乙松という男だ.
小さな田舎の駅長の彼は、駅を守ろうと、幼い娘の死も,
妻の死も、守ることができなかった.
何年か後、駅は閉鎖っされる危機に瀕し,
彼は死んだ娘と同じ名前の女の子に出会う.
そして、子供のお姉さんたちが相次いで彼を訪問する.
監督は、鉄道に狂ったような乙松という男の生涯を、現在と回顧を混ぜて回想する.
登場人物全員が善良なだけの新派調の話だが、監督は予想すらできないファンタジーで映画を豊饒にする.
日本の近代化を成し遂げた父の世代に捧げる献辞であるともいえる‘鉄道員’は、家族を粉々にして茫然自失している現在の日本人を慰労する.
乙松は家族を無くしたが、皆から尊敬を受けるのという話だ.
林權澤監督の‘春香傳’は、その反対の地点から、近代化が私たちの精神をいかに歪曲させてきたのかを反省させる.
映画は、パンソリ‘春香傳’の一種の‘ミュージックビデオ’ということができるのだが、観客をひきつけるジョ・サンヒョンの唱のイメージで進行される過程は、全く新しい体験だ.
私達が当然視していた、西欧映像文法と感性が、私たちのものではないという反省をすることになるだろう.
特に、バンジャが春香を招待しにいく場面,
李夢龍が出発するという言葉にチマ(註:スカート)を引き裂く春香の姿とビョン・ハクドにむちで打たれて、背負われてきた春香の前で他のキーセンが‘よくなった’と歌う場面等は、流れを結んで,
結びを解く‘春香傳’の実験を見せてくれる.
監督は、私達が近代化という名前で廃棄処分したものを、また集めて、最も新しい実験で蘇生させたのである.
判断は観客にかかっている.
観客は‘鉄道員’を見て、大衆のために犠牲になる個人-乙松をあざ笑うかもしれず、‘春香傳’を陳腐なプロジェクトとしてうけとることもできる.
惜しいことに、日本の国民俳優 高倉
健が‘鉄道員’で名演技を見せてくれた反面、‘春香傳’でデビューしたイ・ヒョジョンの演技が映画にとって負担に作用するという点だ.
<キム・ミンギョン記者 holden@donga.com>
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