2001年4月281号 週刊東亜

‘映画の 都市’ 釜山 レディー〜アクション!


市民たちが全幅的に支援, あちらこちらで 映画撮影中 … 香港, 日本からも訪れる‘韓国のハリウッド’ 

釜山. 1年に3,4回程度訪れて行き、何日かずつ滞在する所だが, 今回は気分がちょっと妙だった. 金海空港から市内に入る道、車窓から見える洛東江河口と九浦陸橋市場と南浦洞の映画館街, そして生臭い港の臭いが漂うチャガルチ市場…. 目に入るあちらこちらの風景が、映画 ‘チング(友人)’の場面とオーバーラップしながら、妙な感興を呼び起こす. ‘幼い友人たちが消毒車の後を追って走ったのが、あの路地だったのか?’‘丸坊主の男子学生たちが荒々しく喧嘩を繰り広げた映画館では、今、どんな映画が上映されているのだろうか?’

ローマを訪れた観光客たちが、‘ローマの休日’という映画を思い起こさせて、オードリー・ヘップバーンが歩いて降りたスペイン階段を探していくように, これから釜山を訪れる人は、映画‘チング’の実際の舞台を散策している喜びとときめくを味わうかもしれない. 

‘週間東亜’が先週号(280号)でインタビューした俳優 チャン・ドンゴンは, “映画‘チング’の本物の主人公は、まさに釜山だ”と話した. “私が自分で言うことではないが、本当に誇らしくてありがたい. 撮影のために、商売している方達には相当邪魔になったはずですが、いやな顔ひとつなく協力してくださって、激励もたくさん受けました. その方たちの人情と好意がなかったら‘チング’もできなかったでしょう.”

‘チング’成功の半分は釜山市民のおかげ

クァク・ギョンテ監督と主演 俳優たちは、映画を封切りするやいなや、釜山に走って行き、映画館街を訪れて市民と釜山映像委員会(以下 映像委)側に感謝の気持ちを表して, ファンサイン会などの行事に精一杯時間を割いた. 釜山のなにが、彼らを感動させたのだろうか. その解答を探すために、釜山市庁内に位置する釜山映像委員会を訪れた. 

10余名の人々が忙しそうに行き来する、こじんまりした大きさの事務室. 片方に置かれたテーブルで、ロケーションチームが会議をしていた. 壁面に設置してある‘ロケ支援 現況盤’には、現在撮影中であるか協議中の映画がぎっしりと記されている. 

“昨日、スジョン洞 高架道路で 撮る 予定だった ‘マッチ棒少女の再臨’が、道路の統制問題が解決できなくて、撮影が延期になりました. 近隣警察署と協議して、近日内に撮影ができるようにするべきです.”“明日、日本の映画社がロケーション場所物色のため、映像委を訪問します. 車両と人材の協力をお願いします.”

6名のロケーションチーム員たちは、各自、自身が受け持っている映画の支援現況を報告して、難しい部分に関して協力を求めながら‘今日すること’を整理していた. 会議が終わると、各自席に戻り、映画社と官公署に電話をして、必要とされる公文を作成しようと, 朝からコーヒー一杯を楽しむ余裕も彼らにはないように見えた.

“影島橋を統制して, 凡一洞国際ホテル前道路は3日間くらい車両通行を禁止しながら、バス路線まで変えることによって、市民たちに大きな迷惑をおよぼしたのですが, 映画が成功し、どれくらい幸いか分かりません.”

映像委で広報を担当する キム・ジョンヒョン氏は、“最近では、元気が出て、難しさも感じずに仕事ができます”と話す. 

正職員, 短期スタッフ, 派遣公務員 等、13名の映像委の人々がする‘仕事’とは、まさに映画撮影を支援することだ. こちらでは、ロケーション支援, 行政機関許可代行, 宿泊施設斡旋等、映画撮影に必要とされる全てのものを速かに処理する.

製作現場にある映画人ならば、簡単な場面ひとつを撮るために、いろいろな公文を持って、警察署-消防署 等、官公署を飛び回った経験があることだろう. 
映画を作る時、製作陣が最も難しさを感じることは、撮影場所の渉外と各種装備を動員する問題だ. 軍部隊は保安を理由に, 警察署はイメージが悪くなると、手を差し出さないのが習慣で, やっと許可を受けても、ご機嫌を伺いながらになる. 
いっそのこと、撮影を許諾しない聖域のような場所なのだと涙をのんで背を向けなければならなかった監督たち. ‘シュリ’のカン・ジェギュ監督は、“軍部隊の協調だけでもあれば、はるかによくできた映画になった”と惜しみ, ‘共同警備区域 JSA’製作陣は、結局、板門店撮影許可を受けられなくて、7億ウォンを投入してセットを作らなければならなかった. 

交通放送では随時撮影場を案内

地方自治体ごとに先を争って、大層な名前の映画祭を開催しているが, いざ、映画撮影に対する意識と協調は、期待以下の状況で、釜山市と映像委のこういう全幅の支持と支援は、映画人にとって‘日照りに小雨’となっている. 釜山で映画 ‘リベラ メ’を撮影した ヤン・ユンホ監督は、“映画撮影時にしばしば要求される官庁の認可過程がほとんどないうえに、物心両面の積極的な支援に驚いた”と話した.

‘リベラ メ’を撮影した当時、映像委は貸与料が時間当り300万ウォンのヘリコプターと一日の賃借料40万ウォンの散水車を無償で支援して, 消防署員と119隊員, 一日労務賃が5万ウォンずつのエキストラなどを支援した. 撮影の3ケ月間、支援内容は金額に直すと10億ウォン水準. それだけでなく、再開発予定のアパートを爆破シーン撮影場所として提供しながら、撮影場周辺に警察官を配置し、道路統制及び安全確保を担当するようにした. ‘インディアンサマー’撮影時は、釜山市庁政務副市長室まで撮影場所として提供し、釜山矯導所の協調で、史上初めて矯導所内の撮影も可能だったという. 

“釜山に行けば、他のところに神経を使わないで、映画だけを撮ることができる”といううわさが立ちながら、映画製作陣はわれもわれもと釜山に集まっていっている. 映像委のロケーション現況資料を注意深くみると, 昨年から今年までに撮影を完了した作品が13本, 現在撮影中の作品が2本, ハンティング及び協議中の作品が43本に達する. 香港及び日本からも映画を撮るために問合せがあり、短編映画, ミュージックビデオ, CFも、20作品が見積もられている. これまでの何年間か、釜山で撮った映画が1年に1・2編に過ぎず, 91年から95年まではただの一編もなかったことを考えれば、映像委の役割がどれくらい大きいかを実感できる. 

現在、釜山で撮影中の ジャン・ソンウ監督の映画‘マッチ棒少女の再臨’を支援しているキム・ヒョンソク氏は、“映画の撮影前に、市民たちにあらかじめ知らせて、理解と協調を求めることも大事”と話す. ‘マッチ棒…’の場合、3月中の10日間でも、釜田洞ロッテデパート前の4車線 道路で、大規模アクションシーンを撮影したのだが, 釜山で最も混雑している所のひとつであるそこの交通を統制しながら、あらかじめ市民たちにビラを配布して、道路のあちらこちらにプラカードを置いて市民の協調を求めた. 車両統制にともなう不便を減らすために、ワゴン車を臨時運行し、海兵戦友会所属会員たちまでが現場に出てきて進行を手伝いしながら無事に撮影を終えた.

“リベラ メ 爆破場面撮影時は、近隣住民たちの中でからだが不便な方達はホテルに移してお過ごしいただくようにしました.”映像委のこういう細心な努力と配慮があったため、‘チング’の主人公たちは、その複雑なチャガルチ市場を勝手に走ることができ, 釜山高等学校の協調で、ドンス(チャン・ドンゴン)が学校のガラス窓をぜんぶ破る‘暴力’も可能にしたのだろう.

釜山で会った、あるタクシー運転手は、“昨年から釜山全体が映画撮影場になったようです. 交通放送で随時状況案内をしてくれて、どこで何の 映画を撮っているかがすぐに分かります. 週末には、家族と一緒に撮影現場を訪れる人々も多いですよ”と伝える. 

映画は釜山市の核心戦略産業

釜山国際映画祭の成功で、釜山市民の映画産業に対する理解も大きく高まった.
昨年、釜山大で実施した世論調査で、市民たちは釜山市の核心戦略産業として映画産業を選び, 釜山市で映画産業を育成するために、より多くの投資をしなければならないということに賛成した. 
このような市民の意志と親和力は、釜山市の映像産業構築に相当な力を与えている. 映画館数と観客数も大きく膨らんで、97年に18だった映画館数は、昨年末現在で45に増え, 観客数も540万名から730万名に増加した. 南浦洞 映画通りを抜け出し、西面(ソミョン)にマルチプルレックス CGVが入って, ロッテデパート 釜山店とミリオレ 釜山店にも、まもなく複合映画館が入り、西面が新しい映画の中心地として浮び上がる展望だ. 
西面 CGV 企画室のシム・ユンヒ氏は、“映画‘チング’の場合、計12館中の4館で上映をしているのに、平日でもほとんど売り切れ状態です. 週末には、一日平均1万5000名の観客がこちらを訪れます. 釜山は景気が沈滞の一途を辿っていますが、映画館の客は着実に増加しています”と話す.

映像委で、釜山に映画高等学校が新設されたという話を聞いて、チョリャンにある釜山国際映画高等学校を訪れた. 
今年3月、釜山映像高等学校と共に全国最初の映画特性化高校として門を開いたこの学校は、映像情報通信, 映像ヘアーデザイン, 映像演芸 等、3課に400名の新入生を受けいれた. 学生達は色とりどりに髪を染めて、ピアスをつけている等、他の所では見られない、自由なみだしなみだった. ユ・ケボン校長は、“釜山が映画都市へと走るのに後押しできる人材資源を養成する所になるように、産-学 協同体制を構築して卒業以後の進路に関する連係システムを用意している”と明らかにした.

映画人への夢を育てる幼い学生達の真摯な姿, 現場でスタッフと共に汗を流して撮影を助ける映像委の人々, 釜山の河と海と都心を縫って昼夜なく撮影に熱中する映画製作チームの姿で、自然に‘映画の都市’釜山の今日と明日を描いてみることができる. ‘文化の不毛地’という汚名を拭い去り、‘シネマシティ’としてまた生まれ変わっている釜山は、いつの時よりも活気に満ちていた.



<シン・ウルジン記者 happyend@donga.com>

インタビュー/釜山映像委員会 イ・ソンウォン事務局長
“天恵の条件 … 収入増大効果” 


“映像委員会が国内最初にスタートした時に直面したのは、‘それは何か?’という反応でした. 関係機関に映画撮影協調を交渉する時も、意地悪い反応でしたね. 順次映像委の活動が知られながら、配慮を多くしてもらえ、いまは仕事をするのが非常に容易になりました.”

映像委 事務局長 イ・ソンウォン氏は、公共機関で15年間仕事をしてきながら、第1回から第3回まで釜山国際映画祭事務次長として仕事をしてきた99年12月に発足した映像委慰へと席を移し、今まで映像委のあらゆる仕事を引き受けている. 現在、映像委 運営委員長は、映画俳優のミョン・ゲナム氏. 

“釜山は海雲台-タデポ海水浴場と太宗台等、海岸の絶景を保有しているうえに、最近は各種映画インフラが拡充されていて、映画都市として成長するのに不足がない所です.”

イ・ソンウォン氏の言葉通り、今釜山では、海雲台ヨット競技場内の貿易展示館の建物を映画撮影スタジオとして再建設する工事が進行中であり, 映画・アニメーション関連業者と装備貸与業者等、30社が同時に入居する釜山映像ベンチャーセンターも、まもなく生まれる予定だ. そして、釜山市は2006年まで映画振興基金を400億ウォンに増やして造成することにした. 

“ニューヨークのように煩雑で巨大な都市でも、撮影申込書を提出すれば望む所の道路を止めて、警察官が現場に出て事故がおきないように支援を惜しみません. 映画撮影で発生する経済的利得が少なくなく, 都市のイメージを高めるということでは、映画のように良い媒体がないためでしょう. 雇用と収入が増大して, すぐにはお金で計算出来ない長期的な効果も大きいのです.”

今後、海外の映画行事に積極的に参加し、釜山を国際的な映画撮影の都市に作るというイ氏は、釜山のこのような雰囲気が、国内の他の都市にまで広がることを希望すると話す.