2001年6月290号 週刊東亜

日本 新世代 80年代 ファッション 熱風


シャツ・ベルト・靴 等、あの時・あの時期‘遺物’道を占領…
バブル経済絶頂期に対する郷愁?


最近の日本の20代女性の流行アイテムを注意深くみてみよう.
片方の肩を大胆にあらわにしたオフショルダーシャツ, 両肩を出したベアトップ(bare top) または、胸とおなかを覆うチューブトップ( tube top), 幅が10cmを超えそうな広いベルト, あちらこちらに鋲を打ってきらりと光るベルト, キスマークや星条旗のように、大きなロゴがプリントされたボックスTシャツ, 水玉または縞デザインのエナメルパンプス(正装用靴の一種).
どれひとつ大胆でないデザインがなく, 色相は原色中心なので、すぐに目につく. 一度に派手さを誇る、こういうアイテムが、まさに‘80年代ファッション’という名前で再流行している.

日本の時事週刊誌‘アエラ’最新号(6月11日付)は、ファッションと音楽等、日本の若者達がまた1980年代文化に熱狂する理由を集中的に分析した.
少し前までは、80年代雰囲気は野暮ったく感じて、徹底的に敬遠されていた. しかし、80年代にこういうアイテムが流行した当時には幼稚園児に過ぎなかった女性たちが、おとなになりながら彼女たち野暮ったくて浅はかだと見られるような80年代スタイルに熱狂している.
なにが日本の若者達の時計を逆に回したのだろうか.

広告・漫画も、復古旋風便乗

‘アエラ’記者が最初に訪ねた所は、流行の中心地の東京・渋谷であった.
ある衣類売り場で会った23歳になった恭子の服装は、右側の肩を露出したオフ ショルダーシャツに、ヘソが見え, 首には大きな首飾りを五つくらい重ねて下げていた. 10余年前、米国映画やMTVでしばしば見かけた服装だった. 記者が“恥ずかしくない?”と尋ねると、返事は、“そんなことは思ったこともない. 素敵だと思うよ”だった. 渋谷のある売り場の店員は、このようなデザインのシャツが週末には、一日に50枚ずつ売れるという.

映画‘フラッシュダンス’に登場する大きくて広い襟のドルマンスリーブシャツや、80年代の人気歌手シンディ・ローパーの写真でしばしば見ることができた金属バッジを付けたGシャツ, ディスコ歌手たちが愛用した広い金色ベルトのようなものを、今は日本の通りでしばしば見ることができる.
しかし、何より、80年代流行の中心には‘マドンナ’がある.
日本のあるファッション雑誌は、“今リバイバルされている80年代流行のエッセンスは皆マドンナから始まった”と断言して、デビュー当時からいままでにマドンナが流行させたアイテムを紹介することもした. Gシャツやベアトップはもちろん、パジャマのようなダボシャツ(襟がなくて、だぶだぶした、長いシャツ)も、マドンナが着れば、無条件に格好良いこととして受け入れた.

日本ファッション界では、80年代ファッション旋風が、昨年秋のパリ, ミラノコレクションから吹き始めたと分析する. また、さる年末、‘紅白歌合戦’に出演した浜崎あゆみ(日本の若い女性たちの間ではファッションリーダーとして通じる歌手)が、“80年代ファッションに決定!”と一言したことが、追従者に火を付けた.
今年に入ってからは、ディオールやD&Gのような海外有名ブランドが積極的に80年代スタイルを出し始め, 続いて、中小アパレル企業が出ながら、新しい80年代ファッションが日本の道を占領してしまった.

このように、渋谷・原宿等、日本の流行中心地の衣類売り場は、最近は80年代ファッションが圧倒的だ. おもしろいことは、80年代文化の再流行を眺める見解が、世代によって差があるということだ. 20代は、80年代スタイルを新しく‘発見’したと考える. その反面, 30代以上は、腰を覆う広いベルトや騒がしいプリントのシャツを見れば、なんだか恥ずかしいと思って抵抗感を見せる.

もちろん、身なりでだけ、80年代が流行しているのではない. 見回せば、ファッション以外の分野でも、80年代の痕跡を容易に発見できる.
TV広告はドナ・サマーやマドンナ, イエスなどが歌ったポップソングを流し, インターネット音楽放送は80年代特集を進行する. そこでは、YMO, カルチャークラブ, デュラン・デュランの姿をまた見ることができる.
漫画は、‘筋肉マン 2世’ ‘北斗の拳’等、80年代に‘週刊少年ジャンプ’の黄金期に連載された作品の続編が大人気だ. 特に、この漫画の主読者層は、30代の、80年代には小学生だった彼らが、また追憶を楽しんでいると現れ, ファッションで80年代の流行を主導するのが20代だという事実と区分される.

90年代の長期沈滞から抜け出し、変化の苦闘する日本に、突然、80年代復古旋風が吹き荒れる原因は何だろうか.
まず、日本人に、80年代が持つ意味を再確認してみる必要がある. 日本人が90年代を‘なくした10年’というならば、80年代は‘バブル経済’の絶頂期であった.
日本歌謡作詞家である秋元康氏は、“80年代は、一言で祝祭の時期”と話す. 景気好況は続いて、誰でも浮かれて希望的な未来だけを夢見た時期だ. 長期不況中に、未来もやはり不透明で、父の月給は薄くなり, 不安な主婦たちは貯蓄に余念がない今とは、あまりにも違う雰囲気であった.
景気沈滞の危機感にともなう‘自粛’の雰囲気から、突然、80年代スタイルが流行し始めたのである. それは、一種の‘良かった時期’に対する追憶だ. 今、20代たちは父母の世代から絶えず“あの時(80年代)は良かった”という話を聞いて育ちながら、知らず知らずのうちに、80年代を憧憬するようになったのである.

“良かった時期だけ記憶しよう”

85年当時、二十五の年齢でディスコ‘マハラジャ’を開館し、‘バブル経済の寵児’と呼ばれた成田マサル氏は、“最近の若者達がパラパラ(80年代にヒットしたハッスルのように、1番, 2番, 3番動作が決まっていて、みんなで同時に同じ動作をする踊り. 昨年、日本で大ヒットした)のような80年代式ダンスに熱中するのを見ると、華麗さを楽しもうとする気持ちは、時代が変わっても変わることがない”と話す.
成田氏が記憶している80年代の若者達は、1週間終始夜ごとに踊りにいく程エネルギーにあふれていた. しかし、最近の若者達には、そのようなエネルギーを発見するのが難しい. 若者達が80年代スタイルで探そうとしていることは、まさにそのようなエネルギーだ. 80年代渋谷の都市文化を研究してきた三浦アツシ氏は、80年代の出発が今と非常に似た状況だったと説明する.

“私達が80年代に好感を感じているのは、今の状況が当時と似ているためです. 好況期に立ち入る前、80年代初めには、73年と79年の2度のオイルショックの後遺症を体験して、困難のうちに始まりました. しかし、予想外に景気が好転しながら社会の雰囲気が良くなったのです. 今の世代も、そのような期待感を持って80年代を追従するのではないでしょうか.”

しかし、‘80年代’流行を眺める秋元康氏の見解は非常に批判的だ.

“80年代、人は計画性もなく, なんでもおもしろければそれでいいと考えました. しかし、不景気に立ち入りながら計画性が重視されて、素朴・節約が強調されたのです. ここに鬱陶しさを感じた人が‘享楽の時代’を憧憬し始めました. 毎日栄養を考慮して素朴な料理を食べる人は、時々異色な味を探します. 今、私たちにとって、80年代とは、高カロリーの贅沢な料理のようなものです. もちろん、それが最後の晩餐であったかも知れませんが.”

80年代リバイバルを通じて、果して日本人は‘なくした10年’をとりもどすことができるだろうか. 恥かしい過去に対する反省の代わりに、‘良かった時期’だけを選んで記憶したい日本人から、わたしたちは相変らず健康ではない未来を読みとる.



< キム・ヒョンミ 記者 > khmzip@donga.com